1974年/アメリカ/監督:フランシス・フォード・コッポラ/出演:アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、タリア・シャイア、ジョン・カザール、リー・ストラスバーグ、マイケル・V・ガッツォ、G・D・スプラドリン、モーガナ・キング、マリアンナ・ヒル、ジェームズ・カーン、ブルーノ・カービー/第47回アカデミー作品・監督・助演男優・脚色・美術・作曲賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

お話の内容は人を裏切ったり裏切られたり殺したり殺されたり、前作【ゴッドファーザー】以上にすんごい暗くて重いのに、ビジュアルと音楽が美しいのでこの映画自体がまるで完成された一枚の絵画のよう。
1972年/アメリカ/監督:フランシス・フォード・コッポラ/出演:マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン、ロバート・デュバル、ジョン・カザール、タリア・シャイア、ダイアン・キートン、リチャード・カステラーノ、モーガナ[…]
ナイフで腹を裂かれようと口内で拳銃ぶっ放されようとその場面は決して凄惨なものではなく、むしろ詩的な雰囲気さえ漂います。
【ゴッドファーザー】に見られた派手なドンパチやサスペンスフルな描写はほぼなく、代わりに淡々とストーリーを追うことで鮮明に浮き上がらせたのはマイケルの孤独と苦悩。
これを観なければ「ゴッドファーザーシリーズ」は完結しません(【ゴッドファーザーPARTⅢ】は個人的にはどっちゃでもええかなって思います)。
映画【ゴッドファーザーPARTⅡ】のあらすじザックリ
「若きマーロン・ブランド」と化したロバート・デ・ニーロ
こんなもん誰でも言うてるんで改めて書く必要もないんですけど一応書いときます。
ロバート・デ・ニーロの演技力って本当にすごいよね。
「これはロバート・デ・ニーロが演じてる!」と何度自分に言い聞かせても中盤くらいにはどうしたって「ヴィトー・コルレオーネ」にしか見えなくなってくる。

【ゴッドファーザー】でマーロン・ブランドが演じたヴィトー・コルレオーネの特徴的なしゃがれた声を完璧にコピーし、相手と話す時の「間」やふんふんと少し頷いてみせる仕草、長身痩躯をやや反らせ上から人を見下ろすような威圧のかけ方、物語が進むにつれて凄みを増していく存在感、それらを年齢だけ若くした上で見事に再現。
後に「デ・ニーロ・アプローチ」という言葉まで生み出した名優ロバート・デ・ニーロの原点の一つがここにはあります。
のし上がって行くヴィトー、苦悩するマイケル
【ゴッドファーザーPARTⅡ】は若き日のヴィトー・コルレオーネがマフィアのドンとしての基礎を築くまでの過去の回想と、そのヴィトーの跡を継いだ三男マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)がファミリーを守るため苦悩する現在とが交互に映し出される構成になっています。

家族を皆殺しにされニューヨークへ落ち延びたヴィトー
イタリアのシチリア島コルレオーネ村を仕切るマフィアのボス、ドン・チッチオに歯向かったため父・兄・母の家族全員を殺され自身も追われる身となった9歳のヴィトー少年は、村人達の手を借りて密かにニューヨークへ逃げ延びます。

若き日のヴィトーはパッと見「義理に厚くよく働く好青年」といった感じですけど、特にビビる様子もなく平然と盗みや殺しをやってのける様からは生来の肝っ玉の据わった性質が伺えます。
初めて人を殺した直後、何食わぬ顔で家族のもとへ戻り子供を抱いて祭りを楽しむヴィトーの姿を見て思い出すのは、前作【ゴッドファーザー】で初めて敵と対峙した時にまったくビビってなかった三男マイケル。「ボスの資質」めっちゃ遺伝してるやん。
ファミリーを守るため奔走し苦悩するマイケル
【ゴッドファーザー】のラストで敵対するファミリーのドン達を皆殺しにして強大な力を得たマイケルは、さらに政界や大物マフィアとのコネクションを広げようと目論みます。でもそのために払った犠牲は計り知れず。

理解ある妻と三男一女、気の置けない仲間に恵まれ、人々から尊敬され親兄弟の復讐も果たし、みるみる名声を高めて行くヴィトーの回想とは対照的に、現在のマイケルにはつらい出来事ばかりが降りかかってきて見てられません。
「ヴィトーが遺したファミリー」を守るため、「マイケルの家族」はもう滅茶苦茶。
「マフィア家業からはいずれ手を引く」という言葉を信じてついてきたものの一向にその気配を見せないマイケルに対して、完全に愛情が冷め切ってしまった妻ケイ(ダイアン・キートン)。


「いかにもヒモ」みたいな若い男を連れてきては金をせびって帰って行く妹のコニー(タリア・シャイア)。しかもコニーときたら夫のカルロをマイケルに殺されてるもんで超上から。

美しいけど絶対頭悪い妻に逆らえずあれやこれや引っ掻き回されてる兄フレド(ジョン・カザール)。

「ドン・コルレオーネ」の名を継いでからというもの振り返りもせずただ突っ走ってきたマイケルは、気が付けば自分でもどうしようもない状況に追い込まれていたのでしょうか。
どいつもこいつも問題だらけ。
誰かを殺すたび死んで行くマイケル
マイケルは【ゴッドファーザーPARTⅡ】でもめっちゃ人を殺します。
前作に輪をかけて皆殺し。

だけどそれって一体なんのためなん。
邪魔者を消すのってそんなに大事なん。
ファミリーってなんなん。
だってマイケルが誰かを殺すとマイケル自身の「何か」も一緒に死んでいってるみたいなんですよ?
殺すと同時に殺されてる。
「感情」とか「友愛」とか「慈悲」とか、何か分かんないけど確実に彼の中にある大事な何かが無くなっていってる。そんなまでして「誰かを殺さなければならない」なんてこと ある?

全てを無くしてそんなに孤独でつらそうで、誰も幸せにしてないし感謝すらされていないご様子ですけど、そこまでして守りたかったものって一体なんなん。
情けなく頭も切れず裏切り行為もあったとは言え兄弟の中で一番優しかったフレドまで殺さなければならなかったのはなんでなん。

なんなんよ、ねえ。
きょうだい全員で祝った父ヴィトーの誕生日
まだマイケルが大学生だった頃の回想。
父であるヴィトーのサプライズ・バースデイ・パーティのために家族みんなが集まっています。マイケルはみんなの前で、大学を中退して海兵隊に志願したことを告白。

この時「アホかお前は!父さんの気持ちも考えろ!!」とマイケルを責める長男ソニー(ジェームズ・カーン)を制してくれたのもフレドでした。

なんでここでこんな回想持ってくんねん。
涙止まらへんわ。
帰ってきたヴィトーを驚かせようと、みんなが玄関に集まる中、たった一人食卓に残り物思いにふけるマイケル。
現在と同じ。
たった一人。

こんな苦悩、私には計り知れませんけど。
「家督」というのはそんなにも大切なものなんですかね。マイケルを見ているのが本当につらい映画です。

そんなに苦しいなら堅気になって普通に働いたらええやん!
マイケルを励ましてやりたいけど、そんなことしたら組織の誰かに消されるんやろなあ。
映画【ゴッドファーザーPARTⅡ】の感想一言

【ゴッドファーザーPARTⅢ】では年老いたマイケルの悲壮感がさらに増すので、ますますやりきれなくなります。
全作観た上でもう一度【ゴッドファーザー】を観ると、ファミリーの一員でもないのにヴィトーやソニーが懐かしすぎて、ふとした場面で泣けてきたりするよ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。