映画の概要と注意事項
1974年/アメリカ/監督:フランシス・フォード・コッポラ/出演:アル・パチーノ、ロバート・デュヴァル、ダイアン・キートン、ロバート・デ・ニーロ、タリア・シャイア/第47回アカデミー作品・監督・助演男優・脚色・美術・作曲賞受賞
注※このブログは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
お話の内容は人を裏切ったり裏切られたり殺されそうになったり殺したり、前作の【ゴッドファーザー】以上にすんごい暗くて重いんですけど、ビジュアルと音楽が美しいのでこの映画自体がまるで完成された一枚の絵画のよう。
ナイフで腹を裂かれようと口内で拳銃ぶっ放されようとその場面は決して凄惨なものではなく、むしろ詩的な雰囲気さえ漂います。
【ゴッドファーザー】で見られた派手なドンパチやサスペンシフルな描写はほぼなく、代わりに淡々とストーリーを追うことで鮮明に浮き上がらせたのはマイケルの孤独と苦悩。
これを観なければ「ゴッドファーザーシリーズ」は完結しません。(【ゴッドファーザーPARTⅢ】は個人的にはどっちゃでもええかなって思います)
映画【ゴッドファーザーPARTⅡ】のあらすじザックリ
「若きマーロン・ブランド」と化したロバート・デ・ニーロ
こんなもん誰でも言うてるんで改めて書く必要もないんですけど、とにかくロバート・デ・ニーロの演技がすごい。
「これはロバート・デ・ニーロが演じてる!」と何度自分に言い聞かせて観たところで、中盤くらいにはどうしたって『ヴィトー・コルレオーネ』にしか見えなくなってます。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
【ゴッドファーザー】でマーロン・ブランドが演じたヴィトー・コルレオーネの特徴的なしゃがれた声を完璧にコピーし、相手と話す時の「間」やふんふんと少し頷いてみせる仕草、その長身痩躯をやや反らせ上から人を見下ろすような威圧のかけ方、物語が進むにつれて凄みを増していく存在感…
後に『デ・ニーロ・アプローチ』という言葉まで生み出した名優ロバート・デ・ニーロの原点の一つがここにはあります。
のし上がって行くヴィトー、苦悩するマイケル
【ゴッドファーザーPARTⅡ】は若き日のヴィトー・コルレオーネがマフィアのドンとしての基礎を築くまでの過去の回想と、そのヴィトーの跡を継いだ三男マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)がファミリーを守るため苦悩する現在とが交互に映し出される構成になっています。
家族を皆殺しにされニューヨークへ落ち延びたヴィトー
イタリアのシチリア島コルレオーネ村を仕切るマフィアのボス、ドン・チッチオに歯向かったため父・兄・母の家族全員を殺され自身も追われる身となった9歳のヴィトー少年は、密かに村人達の手を借りてニューヨークに逃げ延びます。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
若き日のヴィトーはパッと見「義理に厚くよく働く好青年」といった感じですけど、特にビビる様子もなく平然と盗みや殺しをやってのける様から生来の肝っ玉の据わった性質が伺えます。
初めて人を殺したあとケロリと家族のもとに戻り子供を抱いて祭りを楽しむ姿は、前作【ゴッドファーザー】でマイケルが初めて敵と対峙した時にまったくビビってなかった姿を彷彿とさせます。めっちゃ遺伝してるやん。
ファミリーを守るため奔走し苦悩するマイケル
【ゴッドファーザー】のラストで敵対するファミリーのドン達を皆殺しにして強大な力を得たマイケルは、さらに政界や大物マフィアとのコネクションを広げようと目論んじゃう。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
理解ある妻と三男一女、気の置けない仲間に恵まれ、人々から尊敬され親兄弟の復讐も果たしみるみる名を上げて行く回想のヴィトーとは対照的に、現在のマイケルにはつらい出来事ばかりが降りかかって見てられません。
「ヴィトーの残したファミリー」を守るため、「マイケルの家族」はもう滅茶苦茶。
「マフィア稼業からはいずれ手を引く」という言葉を信じてついてきたものの一向にその気配を見せないマイケルに対して、完全に愛情が冷め切ってしまった妻ケイ(ダイアン・キートン)。
「いかにもヒモ」みたいなわっかい男連れてきて

とか言ってくる妹のコニー(タリア・シャイア)。しかもコニーときたら夫のカルロをマイケルに殺されてるもんで超上から。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
綺麗やけどわがままで絶対頭悪い嫁が手に負えず引っ掻き回されてる兄フレド(ジョン・カザール)。
「ドン・コルレオーネ」の名を継いでから振り返ることもできず突っ走るしかなかったもんで、きっと気が付いた時には自分でも後戻りできない状況になってたんでしょうね。
誰かを殺すたびに自分が死んでいっているかのようなマイケル
マイケルは【ゴッドファーザーPARTⅡ】でもめっちゃ人を殺します。
前作に輪をかけて皆殺し。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
だけどそれって一体なんのためなん。
それってそんなに大事なん。
ファミリーってなんなん。
だって、【ゴッドファーザーPARTⅡ】でマイケルが誰かを殺すたび、まるでマイケル自身の「何か」も一緒に死んでいってるみたいです。殺すと同時に殺されてる……。
「感情」とか「友愛」とか「慈悲」とか、何か分からんけど何かが無くなっていってる…そんなまでして「誰かを殺さなければならない」なんてこと ある?
マイケルあなたは全てをなくしてそんなに孤独でつらそうで、誰も幸せにしてないし感謝もされてないけど、そこまでして守ろうとしたのは一体なんなん。
情けなくて頭も切れないし裏切り行為もあったけど、兄弟で一番優しかったフレドまで殺さなければならなかったのはなんでなん。

©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
きょうだい全員で祝ったヴィトーの誕生日
まだマイケルが大学生だった頃の回想。
父であるヴィトーのサプライズ・バースデイ・パーティのために家族みんなが集まっています。
マイケルはみんなの前で大学を中退して海兵隊に志願したことを告白。
この時、「アホかお前は!父さんの気持ちも考えろ!!」とマイケルを責める長男ソニー(ジェームズ・カーン)を制してくれたのもフレドでした。


©The Godfather Part II/ゴッドファーザーPARTⅡより引用
…なんでここでこんな回想持ってくんねんフランシス・フォード・コッポラ。
涙止まらへん。
帰ってきたヴィトーを驚かせようと、みんなが玄関に集まる中、たった一人食卓に残り物思いにふけるマイケル。
現在と同じ。
たった一人。
計り知れないけど。こんな苦悩、私には計り知れないけど。ホントに観てるのつらくて苦しいです…。
「家督」というのはそんなにも大切なものなんでしょうか。
マイケルに

って言ってあげたいけど、消されるんやろなあ…。
映画【ゴッドファーザーPARTⅡ】の感想一言

【ゴッドファーザーPARTⅢ】では年老いたマイケルの悲壮感がさらに増すんで、ますますやりきれへん…
全作観た上でもう一度【ゴッドファーザー】を観ると、自分の過去でも家族でもないのにヴィトーやソニーが懐かしすぎてワケ分からん場所で泣けてきたりするよ
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。
