1975年/アメリカ/原作:ケン・キージー/監督:ミロス・フォアマン/出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、クリストファー・ロイド、ダニー・デヴィート、ウィル・サンプソン、ウィリアム・レッドフィールド、ブラッド・ドゥーリフ、ヴィンセント・スキャヴェリ、スキャットマン・クローザース、シドニー・ラシック、ウィル・サンプソン/第48回アカデミー作品・監督・主演男優・主演女優・脚色賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

私はジャック・ニコルソンが死ぬほど好きです。
ここ数年はすっかり隠居してしまって表舞台から遠ざかっていますが、80歳を超えたおじいちゃんとなった今でも大好きです。
そのジャック・ニコルソン出演作の中でも、特に愛して止まないのが本日の映画。
実は私、ジャック・ニコルソンに会ったことはありません(当たり前)。
会ったこともないのに、この映画でジャック・ニコルソンが演じるランドル・パトリック・マクマーフィという人物が現実のジャックそのものであるような幻想を抱いています。
実在する人物であるかのようにジャックが演じているマクマーフィに本気で恋をしているのです。
とても「いちファン」なんて言葉で片づけたくない本物の恋心。前科者でもヒモでも何でもいいから一生傍にいてくださいと何度も思いました。
私は歳をとって変わっていくけど映画の中のジャックはずっと変わらず私の心を虜にしたままです。
従いましていつも以上に文章が壊滅的になることは必定ですが、そこは恋したあの頃を思い出してご容赦ください。
「何だか文章がおかしいぞ…ああそうか、コイツは今恋をしているのか…」と…。
アカデミー賞主要5部門(作品・監督・主演男優・主演女優・脚色賞。1934年の【或る夜の出来事】以来41年ぶりの快挙)受賞の珠玉の名作、【カッコーの巣の上で】です。
1934年/アメリカ/監督:フランク・キャプラ/出演:クラーク・ゲーブル、クローデット・コルベール、ウォルター・コノリー、ロスコー・カーンズ、ジェムソン・トーマス/第7回アカデミー作品・監督・主演男優・主演女優・脚色賞受賞注[…]
タイトルの意味考察【カッコーの巣の上で】
ケン・キージーによる原作小説のタイトルは「One Flew Over the Cuckoo’s Nest」。日本では「郭公の巣」というタイトルで出版されていましたが、映画の公開後、映画タイトルに合わせて小説のタイトルも「カッコーの巣の上で」に改題されました。
「One Flew Over the Cuckoo’s Nest」ってフレーズは英語の童謡からの引用です。
(一羽は東へ飛び、一羽は西へ飛び、そして一羽はカッコーの巣の上を飛んだ)
英語圏で「カッコー(cuckoo)」は「気が狂った」や「正気でない」という意味を持つスラングでもあって、「カッコーの巣(cuckoo’s nest)」は精神病院や混乱した状態を象徴すると解釈されます。
「カッコーの巣の上を飛ぶ(flew over the cuckoo’s nest)」ということはつまり、抑圧的な環境や制約からの解放を意味してるんですね。
映画【カッコーの巣の上で】のあらすじザックリ
「カッコーの巣」に新患がやってきた
同じ時間に同じ日課を繰り返し、刺激を一切与えられない「カッコーの巣」。
そこへある日、精神異常を装って刑務所での労働を怠ける問題児ランドル・パトリック・マクマーフィが 収監 入院させられてきます。刑務所での労働を逃れられ「やれやれうまく行った」としたり顔のマクマーフィ。

しかし彼が「カッコーの巣」で見たものは、刑務所以上に不可解な世界でした。
キャスト一覧:入院中の個性派俳優達
後の名バイプレイヤーを何人も生み出したことでも知られる【カッコーの巣の上で】。
主要な登場人物を振り返ってみましょう。
●ハーディング(ウィリアム・レッドフィールド)…夫婦生活で悩んでいる。最も正常に近い患者。

●ビリー・ビビット(ブラッド・ドゥーリフ)…天パるとどもっちゃう童貞。母親がラチェッド婦長の親友。マクマーフィを「マック」と呼び慕う。

ブラッド・ドゥーリフはこの演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、役者として大きく躍進しました。
●テイバー(クリストファー・ロイド)…急にキレたりする躁鬱症?ぽい感じの患者。

クリストファー・ロイドは後の「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」のエメット・ブラウン博士(ドク)役で有名ですね。
1985年、1989年、1990年/アメリカ/監督:ロバート・ゼメキス/出演:マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド、リー・トンプソン、クリスピン・グローヴァー、クローディア・ウェルズ、トーマス・F・ウィルソン、ジェームズ[…]
●マーティニ(ダニー・デヴィート)…いつもニヤニヤしてる患者。

ダニー・デヴィートとジャック・ニコルソンはこの映画で仲良くなり、その後も様々な映画で共演しています。
●チェズウィック(シドニー・ラシック)…子供の心を持った患者。電気ショック療法が嫌だと駄々をこねてマクマーフィにすがりつきます。

●シーフェルト(ウィリアム・デュエル)とフレドリクソン(ヴィンセント・スキャヴェリ)…親友同士でいつも一緒。

●チーフ(ウィル・サンプソン)…ろうあのインディアン。原作では主人公であり物語の語り手。

演じたウィル・サンプソンはこの映画で注目され、その後も確実にキャリアを重ね存在感を放っていましたが、残念ながら1987年に53歳の若さで亡くなっています。
●タークル(スキャットマン・クローザース)…夜勤の看守。女を連れ込むマクマーフィを注意するものの、女好きで話の分かる生来の性格により見逃してくれます。

スキャットマン・クローザースはスタンリー・キューブリックの【シャイニング(1980)】その他、多数の映画でジャック・ニコルソンと共演しています。
1980年/アメリカ/監督:スタンリー・キューブリック/出演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュヴァル、ダニー・ロイド、スキャットマン・クローザース、バリー・ネルソン、フィリップ・ストーン、ジョー・ターケル注※このサイトは[…]
「カッコーの巣」での規則正しい毎日
どこを見渡しても金網・鉄柵・南京錠だらけの病院内部にはガチガチに固められた規則があります。毎日決まった薬の配給。毎日決まったレクリエーション。毎日決まった起床時間・自由時間・掃除時間・就寝時間。
何をするにも細かいルールに従わなければならず、それを破ればペナルティが与えられる。
マクマーフィのような人間には窮屈で異常な空間でしたが、差し当たって彼以外の入院患者たちはみんな不満も疑問も抱くことなく、日々安穏 と過ごしていました。
そしてこの病棟の一切合切 を取り仕切っているのが婦長のラチェッド女史(ルイーズ・フレッチャー)。

彼女はいつもガラス張りのナースルームから天使のような微笑みをたたえながら患者たちのいるデイルームを監視しています。
そしてレクリエーションの時間ともなれば患者たちの輪に交わり、さも自分は親身になって考えている風を装いながら言葉少なに実に巧みに各々 の弱みを挙げ連ねさせ、ここでの絶対的権力者が自分であることを患者たちの心に植え付けているのです。

彼女の「統制」は完璧でした。
マクマーフィがやってくるまでは。
マクマーフィがやったこと
マクマーフィは入院当初、そんな生活をちょっとだけ静観していました。しかしすぐに本領を発揮。

すでに書いた通り、そもそもマクマーフィがどうしてこの「カッコーの巣」へやってきたかと言えば、刑務所の労働が嫌だったから。
働きたくないから狂人のフリでもしとこうと言う、ごくごく安易な発想でまんまと連れて来られた服役囚なワケです。ヒーローでもなんでもない。
でもどういうわけか入院患者たちにとってマクマーフィはまるで、荒廃した世界に光をもたらす救い主のように映るんです。
無茶苦茶なのに、ですよ。
よくよく考えるとマクマーフィがしたことといえば、得意のカードで患者たちと賭けをして儲けたこと、TVでワールドシリーズを見せろと婦長に掛け合ったこと、病院に無断で患者たちを釣りに連れて行ったこと、クリスマスに病棟に女友達を連れ込んだこと、など。
すべては他の患者のためではなく自分がやりたいからやっただけのことです。ルール無視。他人も無視。自分が一番。
でもこの「やりたいことやって何が悪いんや!」と言わんばかりのマクマーフィの行動が「カッコーの巣」の患者たちにはどれほどサプライジングな出来事であったのか、想像できます?

そりゃマクマーフィは学もなく品もなく女好きで真面目に働く勤勉さもない社会のはみ出し者ですよ。
こんな屁理屈並べて自分のわがままを強引にまかり通そうとするややこしい服役囚を相手にしなければならないラチェッド婦長には「お察しします」と言わざるを得ない部分も多少なりともあるんですけど。

でもこれまでロボットのようだった患者達の表情がマクマーフィと接することでみるみる生き生きと輝き出す過程を目にすると、確かに彼がここに必要な人間であることがうかがい知れるのです。
原作小説の主人公はチーフ
原作小説では、主人公はチーフです。

私なんかは映画から先に入ったもんで、小説のマックマーフィ(小説では「ッ」が入る)のセリフはすべてジャック・ニコルソンの声で脳内再生されるほど違和感なく読むことができましたが、原作者のケン・キージーは映画の仕上がりに大変不満を持っていたそうです。
分からんでもないですけどね。
原作はチーフのモノローグありきと言うか、チーフの客観的目線でマックマーフィを捉えている部分に面白さがありますから。

最初は「なんだか面白そうな新患が入ってきたなあ…」と傍観していただけのチーフが、いつのまにかまるで親友か同志か、でなければ兄弟ででもあるかのように、主観的な目線でマックマーフィを語るようになっていきます。
原作小説の方がマックマーフィの神々しさは増しているような気がします。神格化してる…というとさすがにオーバーかな、実のところただの犯罪者なんだし。
私は映画と小説、どちらも大変面白く拝見することができました。映画【カッコーの巣の上で】がお好きなら原作小説も一度手に取ってみてはいかがでしょうか。
チーフとマクマーフィの信頼関係


マクマーフィから病院を脱出(脱獄?)しようと誘われた時、大男のチーフは自嘲気味にこんな事を言います。
この時の、泣いてないのになんだか泣いているようなチーフには一瞬とても哀しい気持ちになりますが、間髪入れずに放たれるマクマーフィのセリフでそんな憂鬱は吹き飛びます。

あほっ!デカい体して何言うてんねん!
やるぞ!
いるんですよこういう人、現実にも。
無神経な訳ではなくて、「何細かいこと気にしてんねん!」て、自分の狭い世界観を一瞬で広げてくれる人。言った本人は全然意識していなくても、こんな人種に救われる人って多いんじゃないでしょうか。

原作でチーフはこうも言います。

このセリフには一族の偉大な長であった父親へのチーフの想いが込められています。
マクマーフィはそんなチーフに約束をする。

そうか、よっしゃ、俺がお前を「元の大きさ」に戻したる。

そしてチーフは映画の最後で返事をしないマクマーフィにこう言います。

行こう。
今は俺も でっかい気分 だ。
「元の大きさ」に戻ったチーフ。
約束を守ったマクマーフィ。
原作小説の細かい設定も活かされていて申し分ない仕上がりの傑作です。
マクマーフィに施されたロボトミー手術とは
病院に女を連れ込み酒を浴び、ナースルームのガラスを割ってラチェッド婦長の首を絞め暴れ回ったマクマーフィに行われた最後の「治療」は、ロボトミー手術(=「前頭葉白質切截術」←読めへん)。
原作のマックマーフィの言葉で言うなら「脳の一部をぶち切る」手術。
ハーディング曰くは「脳の去勢」。

現在は行われていない(はずの)外科手術であるとはいえ、人為的に人間を廃人のようにできてしまうなんて、恐ろしい技術があるんですね。
ジャック・ニコルソン胸キュンポイント
最後に、【カッコーの巣の上で】におけるジャック・ニコルソンの胸キュンポイント(なんじゃそら)を一個だけご紹介します。

これです。
この、右肩んトコ。何か分かります?
病院の計器か何か付けられてるのかと思いきや、これタバコなんです。
当時こんなファッションが流行ってたのかどうか、残念ながらジャックより数十年もあとに生まれてしまった私はよく知らないのですが、逞しい腕のTシャツの袖に荒っぽく巻き付けられている四角いタバコの箱にただならぬ男の色気を感じます(変なツボ)。
舞台が冬に移る映画の後半では普通に上着のポケットにタバコを入れてしまうんで超無念よ。
映画【カッコーの巣の上で】感想一言

ジャックの袖に巻き付けられて気が向いた時に吸うだけ吸われて捨てられる彼専用のタバコになってしまいたい…。
意味が分からん?
そうそれが恋。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。