1962年/アメリカ/監督:ロバート・マリガン/出演:グレゴリー・ペック、メアリー・バダム、フィリップ・アルフォード、ロバート・デュヴァル、ブロック・ピーターズ/第35回アカデミー主演男優・脚本・美術(白黒)賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
「アメリカの良心」と聞くと何を思い出しますか?
ハリウッド俳優で言えばジェームズ・ステュアートですよね。
そして人物そのものではなく「役柄」としてダントツの人気を誇るのがこの映画の主人公、アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)。
アティカス・フィンチはアメリカ映画の保存や振興を目的とする機関アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)の「アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100」のヒーロー部門で堂々の一位に輝いています。
彼は超能力も神通力も財力もバットモービルも持っていません。
妻に先立たれ男手ひとつで2人の兄妹を育てるただの田舎町の弁護士です。
しかもなんと町民の反発を押し退けてまで果敢に挑んだ裁判で、敗けます。
どんな手を使ってでも勝ち続ける弁護士を「有能」とするなら、不器用で正直すぎる彼は決して「有能な弁護士」とは言えません。
それどころか公平性の追求のためなら負け戦も厭わない彼は、弁護士としては「無能」の烙印を押されてしまうかも知れません。
それでも陪審員全員が白人である絶望的な裁判で無実の黒人を救おうとしたアティカス・フィンチはヒーローで、そんな彼の背中を見つめる子供達もまた「人としての正しき行い」を学び成長していくのです。
【アラバマ物語】です。
映画【アラバマ物語】のあらすじザックリ
原題【To Kill a Mockingbird】の意味考察
原題【To Kill a Mockingbird】の直訳は「マネシツグミを殺すこと」。
なんでこれで【アラバマ物語】になっちゃったんですかね?
【ウエスト・サイド物語】は【West Side Story】だし、【フィラデルフィア物語】は【The Philadelphia Story】だってのに、「~物語」と言う邦題がつけられた映画の中でもここまでかけ離れているのも珍しい。
1961年/アメリカ/監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ/出演:ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ、ラス・タンブリン/第34回アカデミー作品・監督・助演男優・助演女優・脚色・撮影・編[…]
1940年/アメリカ/監督:ジョージ・キューカー/出演:ケーリー・グラント、キャサリン・ヘプバーン、ジェームズ・ステュアート、ルース・ハッセイ、ジョン・ハワード、ヴァージニア・ウェイダー/第13回アカデミー主演男優・脚色賞受賞[…]
まあアメリカ南部の中でも映画の舞台となったアラバマ州やらその隣のミシシッピ州やらは特に黒人差別が酷かった(酷い)ことから付けられたみたいですけど、もうひとひねり欲しかったなあ。
原題のヒントは作中のアティカス・フィンチと彼の娘スカウト(メアリー・バダム)のセリフに出てきます。
銃を手に入れたら鳥を撃ちたくなるやろ。撃つならアオカケスを撃て。
マネシツグミだけは絶対撃つなよ。
マネシツグミは他の鳥の真似するだけで庭も荒らさへんし納屋に巣も作らへん。
害のない鳥を殺したりするな。
この害のない鳥「マネシツグミ」が無実の黒人トムであり、極度に内気なだけの人畜無害な青年ブーを指しています。
疑いようもない真実をもってしてもトムを救うことができなかったアティカスは、正当防衛で人を殺してしまったブーの処遇に当惑していました。
ブーが殺したと公表するべきではないのか…。
ブーは無関係で、事故による単独死とするべきなのか…。
そんなアティカスの心中を察してスカウトは言います。
父の背中を見て成長してきたスカウトのこの一言によって、アティカスは真実だけでは無実無害な人を救えないこともある現実を改めて思い出します。
この映画の大きなテーマのひとつである、“無実の人間(害のない鳥)を死に追いやること”を体現したタイトルなんですね。
天晴。
子供目線のノスタルジー
物語は主人公アティカスの娘スカウトの過去の回想という子供目線で展開します。
そのため法廷劇がメインではありますが前半のほとんどは夏の暑い日に庭で泥だらけになって転がり遊ぶスカウトと兄ジェム(フィリップ・アルフォード)が映し出されます。
これがなんともノスタルジックな雰囲気で素晴らしい。
木の上の秘密基地やタイヤで作ったブランコ、建付けの悪そうな木戸をくぐればすぐそこは隣家の畑。通りの向こうには時折狂犬が現れ、夏の間だけ近所の家に親戚の子供がやってくる。
大事に箱にしまってあるのはビー玉に壊れた時計に木彫りの人形…大人から見ればガラクタにすぎない宝物たち。
TVを観ずともゲームをせずともこんなにも忙しく遊んでいた時代もあったもんだと、懐かしくてほっとします。
隣人「ブー」を恐れる子供達
目下子供達の関心事は、隣人「ブー」について。
フィンチ家の隣家には兄妹よりも年上の息子(通称ブー)がいるはずですがまったく姿を見せません。
ブーは子供達の間ではすっかりオカルト化していて、子供達は隣家に忍び込んでは肝試しを楽しんだりしています。
ちなみにこの隣人ブーを演じたのはこれが映画初出演となる後の名優ロバート・デュヴァルです。
黒人全員が立ち上がって見守る父の退廷
子供目線で秀逸に描かれているのが裁判に敗けたアティカスが退廷する場面。
裁判の内容については次の項で書きますが、誰一人味方のいない法廷でたった一人で戦ったアティカスを讃え、黒人たちは拍手するでもなく万歳するでもなく、ただ静かに起立して見送ります。
黒人たちの視線が注がれる中、無言で法廷をあとにするアティカスを、ジェムとスカウトはどんな思いで見つめていたのでしょうか。
この表情。
いいですねえ。
なんだこの子役は。どんなけ演技うまいんや。
敗けた父アティカスに同情する気持ちと、「人種差別」の実態を垣間見たものの理解の域を到底超えていて困惑する気持ちと、真実を盾に戦った父を目の当たりにしてどこか誇らしげな気持ちの入り混じった、この表情。
とりあえず兄のジェムが将来父と同じ正しい弁護士を目指したことは間違いないでしょう。
アティカスは「公平」が服着てあるいてるような人物
さて、そんなジェムとスカウト兄妹の父アティカスはどんな人物だったのか。
すでに書きましたが、まずアティカスは「有能な弁護士」ではありません。
報酬も安く「勝つこと」よりも真実や公平性を優先させるので要領は悪いです。しかし誰に対しても常に親身で嘘がないことから町民からの支持は厚い男。
アティカスは親としても見習いたい部分をいくつも持っています。
まず子供に話す時は、子供を抱き上げるか自分がしゃがむか一緒に腰掛けるかして、必ず目線を合わせる。いつでもです。
立ったまま子供を見下ろしてぞんざいに話しかけるなんてことありません。
そして町の人達にするように、自分の子供に対しても常に公平。
悪いことは悪い、良いことは良いと毅然とした態度を崩さず、自分自身も子供達の模範であろうとする努力は怠らない。
こんな親でありたいわ。
アティカスが請け負った黒人青年トムの裁判
ある晩アティカスの元を判事が訊ねてきます。
白人女性への強姦容疑で捕まった黒人青年トム(ブロック・ピーターズ)の弁護を頼みたいとのこと。
さすがに少しだけ躊躇するものの、請け負うことにしたアティカス。
差別の強い小さな町でアティカスが黒人の弁護を請け負ったことは町中に知れ渡り、アティカスはもちろんジェムとスカウトまで心無い中傷を浴びせられることになります。
一番悪いのはコイツ
法廷で明らかになる驚愕の事実。
レイプされたと主張する貧乏農家の娘メイエラ・バイオレット・ユーウェル(コリン・ウィルコックス)は、毎日家の前を通る黒人のトムに、家族の留守に家に入って棚の上の箱を取って欲しいとお願いしたところ、いきなり押し倒され暴行されたと供述しています。
そして娘の悲鳴を聞いた父親のボブ・ユーウェル(ジェームズ・アンダーソン)が駆け付けると、ボコボコに殴られ犯された娘の無惨な姿があったと。
しかしメイエラはボコボコに殴られていたにも関わらず病院へも行っておらず、物的証拠はひとつもない。裁判は「被害者」と「加害者」と「被害者の父」とボブの通報で駆け付けた保安官の証言のみで行われます。
そんなアホな裁判あるか。
よくよく考えるとホントに怖いことですよ。
犯人とされるトムが無実を訴えるのは当然として、仮にトムが本当にメイエラをレイプして嘘の証言をしていたとしても、物的証拠のない裁判なんてとても文明社会の所業とは思えない。
娘を言いくるめて虚偽の証言をしたイカれたおっさんボブには神の鉄槌が振り落とされますが、結局一番下等で悪らつなのは平然と被害者面して座ってるメイエラ。
そしてメイエラの嘘は明らかなのに追求しようともしない白人陪審員たち。
さらに黒人は(無条件にでも)裁かれて当たり前とする人種差別が蔓延した社会。
法廷で(少なくとも)無実の(可能性がある)人間を安易に有罪としてしまうことに対する疑問を訴えかけるアティカスを完全スルーして全員一致でトムを有罪にしてしまう白人陪審員に絶望…。
ジェムやスカウトのような純真無垢な次の世代にまで差別を根付かせないことが救いようのない世界を救う第一歩なのかも知れません。
映画【アラバマ物語】の感想一言
実話みたいな雰囲気漂う映画ですけど、フィクションです。
残念ながらアティカス・フィンチは実在の人物ではありません。
しかし映画の力を信じる私は、世界にはアティカス・フィンチに憧れ彼を目指した公平な弁護士がたくさんいた(いる)と思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。