2013年/イギリス、アメリカ/監督:スティーブ・マックイーン/出演:キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ、ルピタ・ニョンゴ、ポール・ダノ、サラ・ポールソン、ブラッド・ピット/第86回アカデミー作品・助演女優・脚色賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
「お前今日から掃除機な」
いきなりですけど、ある日突然こんなこと言われたらどうします?
「誰が掃除機やねんコラ~!」
ってキレたって誰も聞いてくれません。
「おい掃除機しゃべんな。掃除せえ」
って蹴り回されるだけです。
作中に「奴隷は家畜と一緒じゃ」というセリフが出てきますが、私に言わせれば家畜の方がまだマシ。だからもう意思無き機械に例えてみました。でも電子機器もなんか違う…。
あんな扱いを受けるものって他に何があるって言うの?
「お前今日からう○こな」?
…ちゃう。
う○こなんか「わあ~!」って言って逃げられて終わりや。
「お前今日からゴキブリな」?
…これもちゃう。
ゴキブリって生命力強いしイビられても平気そうや。イビり甲斐もないし。
いやそこはやっぱり「奴隷」でいいんでしょう。
他に例えることなんて不可能、人間が人間から家畜より電子機器よりゴキブリよりさらに下等な扱いを受ける絶対にあってはならない制度…黒人奴隷制度がまだ一部で合法であった時代の伝記映画、【それでも夜は明ける】です。
「お前今日から 奴隷 な」
ある日突然こんなこと言われたらどうします?
映画【それでも夜は明ける】のあらすじザックリ
邦題のセンスのなさには舌を巻く(皮肉)
原題【12 Years a Slave(12年間、奴隷として)】。
邦題【それでも夜は明ける】。
世間でよく叫ばれているように、このサイトでも散々おかしな邦題についてブツブツ文句言ってる私ですが、【それでも夜は明ける】についてもまったく理解できません。
どうしてそのまま【12 Years a Slave】ではダメなのか…。
【セブン・イヤーズ・イン・チベット】だってそのまんまなのにねえ?【トゥエルブ・イヤース・ア・スレイブ】で十分作品の大枠を捉えた良いタイトルだと思うんですけど、なんでわざわざ日本語に直すんですかね?
まったく「夜は明けてない」
そもそもタイトルを【それでも夜は明ける】だと認識して観ていると、最後まで鑑賞しても全然夜なんて明けなていないことに驚かされます。
【それでも夜は明ける】は、ある日突然奴隷商人に誘拐され奴隷が合法であった南部に売り飛ばされた自由黒人のソロモン・ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)が、12年間の奴隷生活から解放されるまでを描いているだけ。
解放されたあと彼が奴隷制度廃止運動家として活動を始めるスタート地点にすらまだ立っていません。
ソロモンが奴隷として過ごした12年間だけを指して闇深き「夜」、奴隷制度に懐疑的なカナダ人サミュエル・バス(ブラッド・ピット)らの協力を得て自由黒人であることを証明し、合法的に解放されたことだけを指して「夜が明けた」と表現したのなら、余りにもお粗末。
現在にだってまだまだ根強い黒人差別や法の目をかいくぐった人身売買は後を絶たないって言うのに。
「10年先でも、100年先でも、いずれ必ず黒人差別や奴隷が完全になくなる世の中になる(夜は明ける)」という意味だと仮定してみても、今度はイチ映画のタイトルとしては少々壮大になりすぎ…。
どういう意図なんマジで。
永劫の闇が続くパッツィーと希望の光が見え隠れしているソロモン
もういいよ邦題は。ほっとくよ。
奴隷制度が廃止されていた北部で自由黒人として優雅に生活していたソロモンが、胡散臭い2人組の男に騙され奴隷として売り飛ばされるまでたった数十分。
【それでも夜は明ける】はその後延々と黒人奴隷への惨い仕打ちが描かれますが、奴隷にされても「いつか何としてでも家族の元へ帰ってやる」とばかりに眼光の輝きを失わないソロモンはまだ希望を持って観ることができます。
鑑賞後も私の脳裏に焼き付いて離れなかったのはソロモンではなく「生粋の」奴隷達…中でも残虐な農園主エドウィン・エップス(マイケル・ファスベンダー)から歪んだ愛情を注がれ、嫉妬に狂ったその妻エップス夫人(サラ・ポールソン)から執拗な嫌がらせを受けるパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)。
もう救いようがなさ過ぎて目を覆いたくなるほどでした。
ソロモン、あなたにはやり残したことがあった
ソロモンがエップスの農園にやってきてしばらく経ったある晩、ソロモンが他の奴隷達とは違った頼りがいのある何かを持っていることに気付いたパッツィーは、密かにソロモンの元へやってきます。
お願いがあるねん…。
私を沼に沈めて、動かなくなるまで押さえてて…。
毎晩のようにエップスに凌辱され、嫉妬に駆られたエップス夫人に暴力を振るわれ、死んだ方がマシだと懇願するパッツィー。
ソロモンは逡巡しつつもこれを断り背を向けます。
誰だって自分のことだけで精一杯…でも救いようがなさすぎる
エップスの農園に出入りしていたバスに秘密裡に「元の」自分を知る人に手紙で連絡を取ってもらい、違法な人身売買によってエップスの農園に連れてこられたことが証明されたソロモンは、迎えにきた保安官達とともに農園を去ります。
「やった!やっと終わった…12年も…!」
安堵感が押し寄せる反面、馬車に乗って去るソロモンを見送った後、うしろでパッツィーがぶっ倒れる瞬間が忘れられません。
その後解放されたソロモンは【それでも夜は明ける】の原作となる奴隷体験記「Twelve Years a Slave」を発表し、奴隷制度廃止運動家として多大な功績を遺しますが、
パッツィーが…。
パッツィーがさあ…。
宗教の教えなどからも、いかなる理由があろうと人が人を殺してはいけないのでしょうが(現にソロモンは自殺に手を貸すことを断る理由のひとつとして「信仰に反する」と言っています)、殺される以上の事を日常的にされているパッツィーを、殺してあげて欲しかったと思うのは私だけでしょうか。
そんなこと言い出したらいつの時代も「奴隷」という身分に貶められた人達はみんな死ぬよりつらい境遇に置かれているのでしょうが…。
せめて一人よ。
まず一人さあ。
映画【それでも夜は明ける】の感想一言
「お前今日から 奴隷 な」
ある日突然こんなこと言われたらどないします?
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。