1949年/アメリカ/監督:ジョージ・キューカー/出演:スペンサー・トレイシー、キャサリン・ヘップバーン、ジュディ・ホリデイ、トム・イーウェル、デヴィッド・ウェイン
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
2017年10月頃、大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの長年に渡るセクハラが明るみに出たことで、ハリウッドでも女性(一部男性もか、ケヴィン・スペイシーのセクハラ被害者とか)の権利がさかんに叫ばれていますけども。
それはそれとしても男性がするセクハラや浮気と女性のそれとは他人に与える印象が全然違うという事実は間違いない。貞淑な女性はやっぱり魅力的なんだろうし、逆に男性は少々野性的である方がモテるんだろうし。「浮気は男の甲斐性」とか本気で思ってるご老体とかいるしねえ。
こんなこと考えながら観てると、
1940年代から同じようなことやってんのかあ~…。
こりゃ浮気性の女性に未来はないなあ~。
と、なんともいたたまれない気持ちになってきます。
浮気をしていたDV夫を撃った妻の裁判に挑む検事と弁護士の夫婦を描いた映画、【アダム氏とマダム】です。
映画【アダム氏とマダム】のあらすじザックリ
夫の浮気現場を押さえて発砲した妻
夫ウォーレン(トム・イーウェル)の浮気現場に押し入り、説明書を読みながら買ったばかりの銃を闇雲に撃ちまくる妻の名前はドリス・アテンジャー(ジュディ・ホリデイ)。
ドリスは決して頭がおかしいわけではありません。
聞けば聞くほどウォーレンは酷い夫。暴言・暴力は当たり前、3人も子供がいるというのに4日も連続で無断外泊。金だけは入れてるのでしょうが、今で言う典型的なモラハラ夫です。
妻が夫に重傷を負わせたこの事件は新聞の一面でデカデカと報道され、世間を賑わせます。
地方検事補アダムと弁護士アマンダのバリー夫婦
事件を担当することになったのは地方検事補のアダム・バリー(スペンサー・トレイシー)、そしてその妻で弁護士のアマンダ(キャサリン・ヘップバーン)。
アダムは多少のシャレも通じるには通じるけど、基本的には事あるごとに「法を侮辱するな」と口にするような堅物。妻のアマンダは、キャサリン・ヘップバーンが得意とする美しく品性はあるものの男勝りで情熱的な一面を持つ女性。
アマンダは当初この事件に関心はあるものの弁護する予定ではありませんでした。しかし夫のアダムが担当することになったのを知るや、あっという間にドリス側に回ります。
というのもこの子供のいない法律家夫婦は、普段から権利や法について仲良く議論するのがお好きなようで、事件を新聞で知った時も2人でそれぞれの持論を展開。その時のアダムの「何されようと銃を持ちだした方が悪い」という一方的な見解が気に入らなかったアマンダは、法廷で決着をつけてやろうと目論んだわけです。
要するに半分以上じゃれてる。
原題【Adam’s Rib】について
【アダム氏とマダム】の原題【Adam’s Rib】の直訳は「アダムの肋骨」。
「アダムの肋骨」といえば旧約聖書によると、創造主によって最初に作られた人間「アダム」の肋骨で作られた「イヴ」のことであって、「女性」そのものを指してるんですよね。
聖書に馴染みの薄い日本人向けの邦題を【アダム氏とマダム】にしたのはまあ良いとしても、映画の内容的にも趣旨としてもこの映画の主人公がアマンダであるのは明確だってのに、クレジットはやっぱり夫アダムを演じたスペンサー・トレイシーが先に来るんかいってちょっと矛盾を感じることではありますが。
細かいことやけど、この映画こそキャサリン・ヘップバーンを上に持ってこなあかんかったんちゃうの?
まだまだそんなこと不可能な時代だったんですかね?
大胆な弁護「家庭を守ろうとした勇気ある母」
開廷するやアマンダは全力で裁判に挑みます。
まず男女平等の考えを持たない陪審員は認めない。
数え切れないほどの学士を取得している才女や、383人もの部下を抱える職工長(夫も部下)、男性をひょいと持ち上げるサーカスの怪力女など、発言力のある男女平等に賛同する女性証人を傍聴席いっぱいに招いて、どうして浮気された女性だけが罰を受けなければならないのかと説きます。
最終弁論は極論だけどなぜか説得力がある。
妻子や家庭を守るため家に押し入った強盗を撃っても正当防衛になります。ドリスも同じです。大事な家庭を守るための痛ましい事故です。
どうして夫の浮気や虐待は容認されて妻ばかりが責められるのでしょう。
人間はあまり怒らせると攻撃的になるんです。
まさかの「浮気した夫」を「押し入った強盗」に例える暴論。
すごい。
弁護士ってすごい。
あらゆる角度からひねってひねってなんとしてでも弁護人を無罪に導く。
場合によってはうまいことこじつけたもん勝ち。
結果として裁判は加害者ドリスが無罪を勝ち取り、夫婦対決の軍配はアマンダに上がります。
その「差」は一体いつ埋まるのか
裁判が終わる頃にはバリー夫妻の仲はかなり険悪なものになっています。…て言うても実は究極にじゃれ合ってるだけなんですけど。
アマンダのような女性と結婚していながら、割と男尊女卑的な古風な考えを持ってるアダムは(この時代はごく一般的だったのでしょうが)、アマンダに負けたことが悔しくて仕方がない。
最後はバリー夫婦が問題提起しているとも取れる会話で幕を閉じます。
男女に差はないわ。
あっても僅かよ。
「その差」ね。まさしく。
【アダム氏とマダム】の公開から70年以上経った今でも、「男女の僅かな差」による諸問題は後を絶たない訳で。
対象は女性だけでなく性的マイノリティや人種にまで及ぶんでしょう。
「同じ人間の僅かな差」を平等に扱える人にならなあきませんね。
映画【アダム氏とマダム】の感想一言
作品のテーマはシリアスな法廷ドラマのように重いものですが、全体的にはライトなラブコメ感覚で観られます。
何よりなんだかんだ言ってもお互いを認め合って仲が良いアマンダとアダムの夫婦像が、実生活でもパートナー関係にあったスペンサー・トレイシーとキャサリン・ヘップバーンそのもののようで素敵。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。