1963年/イタリア・フランス/監督:フェデリコ・フェリーニ/出演:マルチェロ・マストロヤンニ、アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレ、サンドラ・ミーロ、バーバラ・スティール、マドレーヌ・ルボー/第36回アカデミー賞外国語映画賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

“巨匠”と呼ばれるほどの監督は、自らの苦悩でさえもネタにして映画1本撮っちゃうんですね。
しかもその映画が高い評価を受けるだなんて。
苦悩なんてしなくていいじゃん。
なに撮ってもおもろいんじゃん。
実際あなたにスランプなんてあったの?
ねえ、フェデリコ・フェリーニ氏。
“映像の魔術師”と呼ばれたイタリアの名監督フェデリコ・フェリーニが主人公の映画監督グイド・アンセルミ(マルチェロ・マストロヤンニ)に自分自身を投影した映画、【8 1/2 (はっかにぶんのいち)】です。
映画【8 1/2(はっかにぶんのいち)】のあらすじザックリ
タイトル【8 1/2(はっかにぶんのいち)】の意味解説
関係ないけど今は「8 1/2」と書いて「はっかにぶんのいち」とは読まないんですってね。算数の帯分数の項では普通に「はちとにぶんのいち」って習うらしいですよ。

これを聞いて「え?そうなの?」って思う人が多いのか、「当たり前やん」って思う人が多いのかは知らんけど。教育指導要領って教育課程を終えた人には何の通達もなくいきなり変更されるよね。そらそうか、社会に出てから実生活で帯分数使うことないしな。指導要領が変更されるたびにいちいち教えてもらわんでもええわ、ごめん。
閑話休題。
本日の映画タイトル【8 1/2】は「はちとにぶんのいち」ではなく「はっかにぶんのいち」と読みます。
「8 1/2」という数字が映画本編の謎を解くキーワードとかになってんじゃねーの?と思ったそこのあなた。
は・ず・れ。

監督作7本、それに共同監督作1本(“共同”だから1/2としてカウント)、の、次の作品に当たるため、「フェデリコ・フェリーニ監督作8本と1/2本目」ってことで【8 1/2(はっかにぶんのいち)】。
フェデリコ・フェリーニ監督作(共同監督作含む)
- 【寄席の脚光】(1950年)※アルベルト・ラットゥアーダと共同監督
- 【白い酋長】(1952年)
- 【青春群像】(1953年)
- 【巷の恋】(1953年)※オムニバス映画の一挿話
- 【道】(1954年)
- 【崖】(1955年)
- 【カリビアの夜】(1957年)
- 【甘い生活】(1960年)
- 【8 1/2】(1963年)←ここ
そんだけ。
1954年/イタリア/監督:フェデリコ・フェリーニ/出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベイスハート、アルド・シルヴァーニ、マルチェッラ・ロヴェーラ、リヴィア・ヴェントゥリーニ/第29回アカデミー外国語映画[…]

マジマジ。すごいよねこれ。
【8 1/2】って帯分数になってるからなんとなくオシャレっぽいけど、もし【寄席の脚光】の共同監督がなかったらタイトル【8(はち)】ですよ【8(はち)】。
これだとなんかちょっと…。
なんかやね?
参考 【8 1/2】はのちに「NINE(9)」のタイトルでミュージカル化されています。1/2増えてる…。
追いつめられる有名映画監督グイド・アンセルミ
有名映画監督グイド・アンセルミ(マルチェロ・マストロヤンニ)はローマの湯治場で体を休めながら次回作の構想を練っています。
しかし製作者からのプレッシャーや出演希望俳優らからの売り込み、周囲の人々の期待に邪魔されて、まるでアイデアが出てきません。

どうしよう、すぐにでも製作者にプロットを渡さなきゃなんないのに…。
どうしよう、あの俳優を使うって約束したけど、役柄どころかストーリーもなんにも決まってへん…。
グイドはフェデリコ・フェリーニ監督自身です。
それも彼のこれまでの人生を描いた「自伝」というより「自分を投影している」といったニュアンスで。

【8 1/2】撮影開始時、主演にマルチェロ・マストロヤンニを据えるということ以外は本当に何にも決まっていなかったといいます。フェデリコ・フェリーニは物語の主人公グイドと同じように撮影現場で試行錯誤しながら、ほぼ即興や直感で本作を撮りあげたそうですよ。
ホント天才ってイカれてる(←褒めてる)。
芸術家って大変だけどハーレムを夢に見るのも大概にしなはれや
新作映画の制作に行き詰まり、眠れない夜が続き、精神的にも肉体的にも追い詰められていくグイド。
交錯する現実と幻想、過去と現在、夢と記憶。
グイドの頭の中にある人物や風景はまるですべて現実のものであるかのようにスクリーンに映し出されます。
そして中盤で描かれるのはグイドの野望(?)。

妻ルイザ(アヌーク・エーメ)、その友人ロセッラ(ロセッラ・ファルク)、愛人カルラ(サンドラ・ミーロ)、さらには幼少期に浜辺で一緒に踊った巨女サラギーナ(ファーギー:30年は経ってるはずなのに昔の姿のまま)まで、グイドが何らかの関係を持ったであろう女という女がひとつ屋根の下で一緒に暮らすという究極のハーレム。
女達へのプレゼントを抱えて帰ってきたグイドを全員が温かく迎え入れ、風呂を沸かし、我先にとかいがいしく世話を焼く。

なんや、えらい真剣に悩んでるわと思てたら、こんなこと考えとったんかいな。
グイド「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう」
冒頭の数分で一気に引き込まれる映画です。
冒頭、大渋滞で動かない車の運転席に座るグイドは、車内に充満した煙で窒息しそうになり車の屋根から脱出。渋滞の車の上を伝ってトンネルを抜けた彼はそのままふわりと空へ浮かび上がります。
抜けるような青い空(モノクロだけど)を爽快に浮遊するグイドでしたが、ふと見ると脚にがっちりヒモがくくりつけられていて、地上で誰かがヒモの端を引っ張っています。

地上の浜辺には二人の男がいて、一人は馬に乗って騎士を気取ったハゲ、もう一人はグイドの足にくくりつけられたヒモの端を引っ張っているグラサンのおっさん。
遠目でよく分かんないけどグラサンの方はグイド自身のようにも見えます。
ハゲは空にいるグイドにとも隣にいるグラサンにともつかない感じで「降りろ、降りてこい」って言ってます。

それを聞いたグラサンはますます力を入れてヒモを引っ張る。
たまらずグイドは上空から海に落下。
そこでグイドは夢から醒める。
恐らくこのハゲが象徴するのはグイドのマネージャーやスポンサー、引いてはグイドが映画を撮り続けることを過度に期待する関係者でありグイドがこれまで付き合ってきた女達であるのでしょう。
“ハゲ”は地に足ついてるグラサン(=“現実”のグイド)に命じてグイドを安住の世界から引きずり降ろそうとしています。
“ハゲ”によって現実に引き戻されるグイド。

目覚めたグイドは過去のフラッシュバックや先述のハーレムのような幻想の世界と周囲から圧をかけられて温泉地療養もままならない現実を行き来して、最後の最後にこう言います。
窒息しそうなくらい苦悩したグイドが最後に出した答えが、“人生はお祭り”。

お祭りってよく考えたら変ですよね。見ず知らずの人々が一箇所に集まって同じ時間を共有するんですよ?天国とも地獄ともつかないカオスな雰囲気があるじゃないですか。
悩みに悩んだグイドは最後に、もうええやん、と。
祭りでええやん、と。
みんなで一緒に過ごそうやってね。

人生って詰まるところ、ここに行きつくわけですわ。
映画【8 1/2(はっかにぶんのいち)】の感想一言
「映画製作に関する映画」の代表的作品。
こんな(こんなって)ストーリーもヘッタクレもないひとりの人間の葛藤と情緒を描いただけの映画であるのに、【8 1/2】は第36回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞しています。
お涙頂戴の物語があるわけでも政治的・宗教的思惑が絡んでるわけでもブームに乗ってるわけでもない【8 1/2】の受賞は大きな意味を持っていたことでしょう。
それってつまり、純粋に映画そのものを評価されての受賞ってことですから。快挙ですよ。
本作で自身の作風を確立したフェデリコ・フェリーニは、これ以降“映像の魔術師”の異名をとるまでになったんですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。