1932年/アメリカ/監督:トッド・ブラウニング/出演:ウォーレス・フォード、オルガ・バクラノヴァ、ハリー・アールス、デイジー・アールス、リーラ・ハイアムス、ヘンリー・ヴィクター、ローズ・ディオン、デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン、ジョニー・エック
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

公開されるや観客や批評家から強い反発を受けてカットされるわ上映禁止になるわ、商業的に失敗に終わった映画です。
なんでなの?
本物の奇形者や障碍者を登場させたから?
奇形と言えばデヴィッド・リンチ監督による1980年の映画【エレファント・マン】が有名ですが、あの映画で“象人間”を演じたのはただの(ただのって)ジョン・ハートであって、彼の全身コブだらけの異様な姿はすべて特殊メイクによるもの。
1980年/イギリス・アメリカ/監督:デヴィッド・リンチ/出演:アンソニー・ホプキンス、ジョン・ハート、ジョン・ギールグッド、アン・バンクロフト、フレディ・ジョーンズ、ウェンディ・ヒラー注※このサイトは映画のネタバレしようが[…]
本日の映画【フリークス(1932)】(日本公開時の邦題は【怪物團】)には、幼児ほどの背丈しかない成人や四肢がない人、腰で体が繋がった結合双生児や両性具有者など、稀な身体的特徴を持つ人達がたくさん登場します。「たくさん」というか、登場人物の半数以上はこういった人々。
「公開当時は低かった評価が近年見直されている」なんてクラシック映画にはよくあること。でも本日の映画のいったいどこがそんなにウケなかったんだろう?
当時は“奇形者たち”をスクリーンに映し出すこと自体がすでに禁忌だったのでしょうかね。
映画【フリークス(1932)】のあらすじザックリ
伸びたり(追加)縮んだり(カット)した幻の映画
もともとのコンセプトが「すべての期待を上回るホラー映画」であった【フリークス(1932)】には、身の毛もよだつ恐怖の描写が一部あります。
それもそのはず、メガホンを取ったのはこの前年に【魔人ドラキュラ】を手掛けたトッド・ブラウニング。
1931年/アメリカ/監督:トッド・ブラウニング/出演:ベラ・ルゴシ、ヘレン・チャンドラー、デヴィッド・マナーズ、ドワイト・フライ、エドワード・ヴァン・スローン注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと[…]
サーカスで働いた経験を持つトッド・ブラウニングは、サーカスの裏側にある人間関係や社会からは疎外されがちな「フリーク」と呼ばれる人々への同情を描くのに最適の監督でした。
【フリークス(1932)】はそんなトッド・ブラウニングの最高傑作と讃えられる映画です。

しかし冒頭にも書いたとおりあまりにも衝撃的すぎる内容は公開当時評価されず、ブッチブチにカットされたり取って付けたようなハッピーエンドを追加されたりといった不名誉な改変がなされています。
含蓄ありすぎて泡吹くプロローグ
ただでさえ現在視聴可能な【フリークス(1932)】は64分しかないというのに、これでも継ぎ足したシーンを含んでいるので「カットされただけバージョン」よりは気持ち長くなってるみたいです。
ひとつめの継ぎ足したシーンは映画冒頭のプロローグ。
この世にも変わった物語を始める前に驚くべき主題について申し述べておきたい
信じようと信じまいとこれは現実の姿である
©Freaks/フリークスより引用 かつて普通でないものは不幸の前ぶれとか悪魔の化身と考えられた
厄災の神々は決まって奇異な姿を呈していた
不正な行為や苦難は欧州やアジアにおける身体的に障害のある暴君の責にされてきた
歴史や宗教・風俗・文学には社会の流れを変えたが環境には適合しない異形の人間が多く見られる
ゴリアテ キャラバン フランケンシュタイン 親指トム ウィルヘルム皇帝などは広く知られている
©Freaks/フリークスより引用 不幸な生まれは不名誉とされ異形の子は死に追いやられた
たとえ生き延びても怪しい者とみなされた
身体に障害があるだけで社会から遠ざけられた
家族は呪われた一家としての生活を余儀なくされた
貴族のなぐさみものとして宮廷に入る者もいたが 多くは飢え 物乞いをし 盗みを働き生計をたてた
©Freaks/フリークスより引用 美への執着は文明の誕生以来深く根ざした衝動であり身体的に障害のある人々に対する拒否反応は昔から長く培われてきた考え方の結果と言える
彼らの多くは健常者と同じ思考や感情を備えておりその運命はまことに痛ましい
彼らは不自然な生活を強いられそのために健常者の迫害から逃れる独自の倫理を作り上げた
その倫理は固く守られた
哀しみは分かち合い喜びは共に享受した
©Freaks/フリークスより引用 これから始まる物語は彼らの倫理観に基づいている
近代科学と生物の研究は神のいたずらをなくした
このような物語が2度と映画化されることはないだろう
自らの運命を変えられぬ人々への不公正に対して人間的な優しさを忘れずに健常でない人々
心ならずも運命に翻弄された人々の驚くべき不条理な物語をここに綴る
出典:【フリークス】字幕
時間にしておよそ2分40秒。長 いよこれは。のっけから長 い時間をかけて映画の正当性を説いている。
まあね、このプロローグがあることで本編のショックは少しマイルドに…なるか?
カットされたクレオパトラの最後の姿“アヒル女”
反対にカットされたのはどの場面なのかと言われたら、当然私にも分かりません。だってカットされてないバージョンを観る術がないんだもん。分かっているのはギチョンギチョンにカットされた結果、上映時間は当初の半分くらいになってしまっているという事実。
今となっては明らかにカットされたことが分かっているシーンは一場面のみ。

サーカス団に所属する小人症のハンス(ハリー・アールズ)は、空中ブランコの花形スターである美貌のクレオパトラ(オルガ・バクラノヴァ)に恋心を抱いています。やがてハンスとクレオパトラは結婚式を挙げますが、クレオパトラとその愛人ヘラクレス(ヘンリー・ヴィクター)の本当の狙いはハンスが相続する莫大な遺産。
二人はハンスの純粋な気持ちを踏みにじり、結婚してクレオパトラがハンスの遺産相続人となったあと体の弱い小人症のハンスを毒殺しようとしていたのでした。

クレオパトラの裏切りに気付いたハンスの仲間のフリークスは、みんなで力を合わせて彼女に報復します。
確実にカットされたことが分かっているのは次の場面。
フリークスの報復を受けたクレオパトラの姿。
なるほど、視覚的に受けるショックがエグい。

片目はつぶされ、脚をもがれ(その代わり胸元に羽が生えてる?)、手の指は水かきのようになり、人語を話さず「グアーッ!グアーッ!」と鳴いている。

この衝撃のラストは今でも媒体によって観ることができたりできなかったりします。
まあかなりショッキングであることは間違いないわね。
ハッピーエンドを追加した「完全版」
一方、確実に追加されたのは冒頭のプロローグともうひとつ、「ハッピーなエンディング」。
公開当初は前述の“アヒル女”のショットで幕を閉じていたはずのところ、「完全版」には2分弱の後日談が追加されています。
追加されたのは報復事件のあとサーカスを辞め資産家として静かに暮らしていたハンスのもとに、かつての婚約者で同じく小人症のフリーダ(デイジー・アールス)が訪ねてきて愛を確かめ合うというハッピーエンドのエピローグ。

突如趣がガラッと変わるためどうしても不自然な感じは残るんですけど、このシーンがなかったら一歩間違えれば「フリークスを侮辱すると“アヒル女”にされちまうぜ!」というフリークスの残虐性をクローズアップしたあらぬ誤解が生まれていたかも知れないのでそれはそれであかんわな。
本物のフリーク達を出演させたリアリズムとインパクト
先にクレオパトラの末路を書いてしまったので未視聴の方にはすでに誤解を与えてしまっているかも知れませんが、【フリークス(1932)】はフリークスの恐ろしい一面を描いた映画じゃありません。
そもそもフリークスがクレオパトラとヘラクレスに報復するに至ったのには納得の理由があります。
クレオパトラとヘラクレスは“チビ猿”(彼らは陰でハンスをこう呼んで蔑む)ハンスの殺害を密かに企んだばかりでなく、日常的にハンスを笑いものにし、結婚披露宴ではフリークス全員に「怪物!化け物!出て行け!」と罵声を浴びせるんです。普通にお祝いしてくれてただけなのにですよ?

夜の嵐の中、地面を這いずるフリークスがクレオパトラとヘラクレスに復讐するシーンは強烈なインパクトと異様な恐怖を与えますが、視聴者は誰ひとりとしてそこにフリークスへの嫌悪感は抱かないでしょう。

だってそれまでに描かれるフリークスの日々の生活がとても穏やかなものだから。
彼らは働き、結婚をし、子を産み、喜んで悲しんで、互いに助け合って健常者と同じように生きています。

ただ健常者とは違った身体的特徴を持っているというだけで彼らを蔑み笑いものにするクレオパトラとヘラクレスこそが異端者であり、二人が成敗される結末は爽快ですらある映画なんですよ。
映画【フリークス(1932)】の感想一言
外見で人間の価値を決めることがいかに浅はかであるかを示す名作。
フリークスを嘲笑っていた美貌のクレオパトラ自らフリークになり果てる、という皮肉な結末からは偏見や差別に対する強い批判が感じられますよ。
公開当時(もしかしたら現在も?)の過小評価に納得いきません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。