- 近未来
- 2026年3月27日
1952年/イタリア/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ/出演:カルロ・バティスティ、マリア・ピア・カシリオ、リナ・ジェンナリ、イリアナ・シモヴァ、エレナ・レイ、メンモ・カロテヌート
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

2020年頃、「老後2,000万円問題」が話題になりましたよね。
老後2,000万円問題とは、金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」による「老後20~30 年間で約1,300 万円~2,000 万円が不足する」という試算を発端に物議を醸した、「いかに老後の資金を形成するか」をめぐる問題のことです。
出典:ダイワファンドラップ
どんな値をもとに試算してどんな意図でリリースしたのか知りませんけど、「定年を迎える前に2,000万円くらいはしっかり自分らで貯蓄しときや。それがないと年金だけで老後の数十年は暮らせへんからな」と国から一方的に突き放されたように受け取った日本国民は大いに不安になったもんですよ。
庶民の不安なんていつの時代も同じなのに、文明社会のシステムってのは何十年経ってもそれほど劇的な進化は遂げていないんですね。
だって1952年に公開されたヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画【ウンベルトD】でもすでに老後の困窮が描かれていますやん。
ネオレアリズモの代表作として知られ、戦後の混乱に揺れる社会の中で孤独に生きる一人の老年男性の姿を淡々と味わい深く描いた名作です。主演のカルロ・バティスティをはじめ、ほとんどの演者はプロの俳優ではありません。芝居がかったドラマとは無縁のリアルな演技が観る者の胸を打ちます。
参考 ネオレアリズモ=第二次世界大戦後のイタリアで興った映画における現実描写とその作品群の呼称。民衆を表現の主体に、レジスタンス活動・労働争議や貧困をテーマとし、現実社会を客観的かつドキュメンタリー風に描き出した。
映画【ウンベルトD】のあらすじザックリ
年金が足りなくてアパートを追い出されそうな老人ウンベルト爺
【ウンベルトD】のタイトルロールは年金だけを頼りに生活する独り身の老紳士ウンベルト・D・フェラーリ(カルロ・バティスティ)。妻も子供もなく、一緒に暮らすのはジャック・ラッセル・テリアらしき犬のフライクのみ。
なんのことはない、90分弱に渡ってウンベルト氏の数日間が描かれる映画です。

彼は今、地味に危機に直面しています。
「地味に」というのは文字通り「派手じゃない」ってこと。誰かと戦ってるわけじゃない。大事件が起こるわけじゃない。
ただね、住んでるアパートを追い出されそうになってるんです。
ウンベルト氏は絵に描いたように性悪な大家(リナ・ジェンナリ)から「今月末までに滞納してる分も含めて家賃を全額払わないと立ち退かすぞコラ」と脅迫されています。

関係ないけどウンベルト氏のミドルネームがもし「D」じゃなく「G」だったら「ウンベルト爺」になってたのかしらね、爺さんだけにね。
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今日もおもろないな。
家族も友人もいないウンベルト爺(←使う)が仕事を引退した現在、交流がある相手といえば、愛犬フライクとアパートのメイドのマリア(マリア・ピア・カシリオ)だけ。

社会から見放され、親しい人もいないなか、愛想のない世界で孤独に生きながらもウンベルト爺が尊厳を守ろうとあがき続ける物語です。
身寄りのない男性の孤独な老後
「連れ合いも子供もいない老後って淋しいやろなあ」って考えたりしません?
そんな人間的な繋がりなんてなくたって金さえ貯めてりゃなんとかなるやろって考えの人もいるのかも知れませんが、私は孤独って嫌です。やっぱり【ウンベルトD】みたいな映画を観ていても思いますよ。人間なんて結局独りじゃ生きづらいんですって。

1937年のアメリカ映画【明日は来らず】では4人も子供がいるにもかかわらず辛い老後を迎える夫婦が描かれますけど、それでも連れ合いがいるなら苦楽を共有することができるじゃないですか。
でも独りだと本当にもう、精神的にも物理的にもどうしようもない時が出てきますやん。

例えば天涯孤独のウンベルト爺が体調を崩して入院する場面ひとつ取ってもさあ。
誰が入院に必要な荷物持ってきてくれんの?
嫁や子供、親類縁者がいれば誰かがちゃっちゃと準備して病院のベッドまで運んでくれるでしょう。寝てる間に入院手続きの書類にサインしてくれるでしょう。
でもウンベルト爺には誰が居るって?フライク?犬やで?マリア?ウンベルト爺のメイドじゃないで?
ウンベルト爺は自ら病院に電話して看護師を呼び、自ら身の回りの物を鞄につめ、「フライクを頼む」とマリアにお願いして入院するんですよ?

え、それしんどない?大丈夫?
戦後イタリアの貧困の犠牲者
大体ウンベルト爺がどうしてこれほどまでにお金が無いのか分からないんですよね。ウンベルト爺は実は元公務員です。30年以上も国民のために勤め上げた立派な人です。若い頃ニートだったわけでもなんでもない。しっかり税金も社会保険も払ってきたはず。
それなのに住むところにも食べるものにも事欠いている。
ウンベルト爺が孤独であるという現実はともかく、現役時代真面目にやってきた人ですら老後に困窮する戦後イタリアの貧困⸻。
ヴィットリオ・デ・シーカ監督はなにもウンベルト爺を哀れな存在として描いているわけではありません。かといって英雄というわけでももちろんない。
ただウンベルト爺の目を通したリアルな世界を映し出すことで、観る者に人間の尊厳に対する深い洞察を促してくれるのです。
フライクだけは手放しちゃダメ
ウンベルト爺の唯一の救いは犬のフライク。
家賃も払えない、自分の食費もままならない状況で、何が犬やねんって思うでしょう?
でもフライクはただの犬じゃないんですよ。孤独なウンベルト爺のたったひとつの癒しになっていることは言わずもがな、ウンベルト爺にとってはフライクがこの世界との最後の繋がりなんです。フライクが行方不明になった時のウンベルト爺の焦燥は、ペットへの愛情なんぞ超越しています。
フライクを捜すウンベルト爺を支配していたのは唯一の世界との繋がりを失ってしまう恐怖。

自ら命を絶つことを考えたウンベルト爺を思いとどまらせたのもフライク。
ウンベルト爺がプライドを捨てて物乞いの真似をしようとした時、フライクは金を入れてもらう帽子を咥えて微動だにせず、自らの芸でもって進んで協力してくれます。

物乞いをみっともないとも恥ずかしいとも何とも思ってない。そらな、犬やからな。
物乞いするやんオレ。稼ぐやん。ちょろいわ。
ただウンベルト爺が死を考えた時だけは全力で阻止する。
ワンワン!(何やってんねん!)
ワンワン!(死んで花実が!)
ワンワン!(咲くものか!)
あれほど普段は聞き分けの良いフライクが大暴れ。

ようやったフライク。
ラストのウンベルト爺がフライクとともに公園を歩き出すシーンは、“救い”というにはあまりにもかすかな光だけれども、観る者にある種の希望と老いへの共感を残してくれます。

映画【ウンベルトD】の感想一言

【ウンベルトD】はネオレアリズモの時代を超え、現代にも通じる静かな怒りと深い優しさを持った作品です。
人間の尊厳とは何か、社会における「見捨てられた存在」にどう向き合うべきか、「老後2,000万円問題」は結局どないなったのか。
とりあえず私が定年を迎えた頃に日本の年金システムが崩壊していないことを祈ります。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。




