1937年/アメリカ/監督:レオ・マッケリー/出演:ヴィクター・ムーア、ビューラ・ボンディ、トーマス・ミッチェル、フェイ・ベインター、エリザベス・リスドン、ポーター・ホール
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引退して収入がなくなったため住宅ローンの支払いが滞り、住み慣れた自宅を追い出されてしまった老夫婦のお話。
ええそうでしょうとも。
クラシック映画が大好物の私ですら観る前は思ってましたよ、「地味そうな映画やな」って。
そもそも主人公が老夫婦ですからね。
日本の人口の世代分布的には65歳以上が約45%を占める(2022年10月の統計局データによる)とは言え「“老夫婦”を経験したことがない人」はまだまだ大多数なワケじゃないですか。“老夫婦”どころか結婚しない人だって増えてるんだからさ。
これに“長年連れ添った 老夫婦”とか“子だくさんの 老夫婦”とかって付加価値(?)がつけばなお経験者の数は減るでしょう。
しかし本作の主人公は“長年連れ添った子だくさんの 老夫婦”。
それを聞いてほとんどの人がまずは「自分とは立場が違うし共感できなさそう…」って思うんじゃない?
「地味そう」。その上「共感できなさそう」。私もこんな風に思ってたんですよ。
ところがどっこい、ラスト号泣ですわ。
時代も世代も国土も超えて「人間」の心をゆさぶる名画、【明日は来らず】です。
タイトルは「あすはきたらず」と読みます。
映画【明日は来らず】のあらすじザックリ
愛し合う老夫婦、バークとルーシーの物語
ある冬の日、クーパー家の5人きょうだいのうちの遠方で暮らすアディを除いた4人が実家を訪れました。
子供たちを待っていた父バーク(ヴィクター・ムーア)と母ルーシー(ビューラ・ボンディ)は、申し訳なさそうに彼らを呼び寄せた理由を話し始めます。
4年前に仕事を辞めてからというもの、この家の支払いが滞るようになってしもてな…。
来週には銀行に取られてしまうんや。
今の日本だと普通定年には完済できるように住宅ローンを組むものですけど、1930年代のアメリカはいくらでも借りられたんですかね?こういう事態が多発したから支払い能力がない人はローンが組めないようにみっちり審査されるようになったのかな。
とにかく急がなくては、一週間後には父バークと母ルーシーはホームレス。
きょうだいたちは話し合い、子供がいないネリー宅に両親を住まわせることに決め、ネリーの家の準備ができるまではいったんジョージ宅にルーシーを、コーラ宅にバークを引き取ることに決めたのでした。
長男ジョージの家に厄介になるルーシー
ルーシーが引き取られた長男ジョージの家は、妻アニタと年頃の娘ローダの三人暮らし。この家ではジョージの市民権はありません。
予想通りルーシーは、自宅でブリッジ教室を開講している前衛的な嫁アニタと青春真っ盛りの孫ローダから煙たがられます。
ちょっと可哀想な気もするけどそりゃそうやろと言えなくもない。
だってルーシーときたら元ローダの部屋(今はルーシーと共同)にでっかいバークの肖像画を置いてみたり、勝手に出しちゃいけないジョージのスーツをクリーニングに出してみたり、悪意がないにしてもこれじゃあ典型的な「善意の押し売りで若者に邪険にされるお年寄り」。お気に入りの古いロッキングチェアを持って来たはいいけど場所は取るしギコギコうるさいし。そういうとこよ。
ついにはアニタがブリッジ教室を開いている時に大声で(耳が遠いからだけど)バークと電話をして、集まった大勢の生徒さんのひんしゅくを買ってしまいます。
娘コーラの家に厄介になるバーク
一方こちらは娘コーラの家に引き取られたバーク。
バークも同じように煙たがられることになるのですが、彼が煙たがられる理由はルーシーとは違って、「良かれと思ってやってることが空回り」みたいなことでは全然ありません。
ただもう頑固で偏屈で手に負えない。
こんなもん、ただの厄介な老人ですよ本当に。
体調を崩したバークのために近くの若い医者を往診に寄こそうものなら「若造なんぞに俺の病気は治されへん。俺の体のことは母さん(=ルーシー)が一番分かっとる」と言って診察拒否。じゃあどうせえっちゅうねん。オカンおらへんがな。
娘のコーラに同情心さえも沸いてきます。
当初の予定ではもう1人の娘ネリーの夫の許可さえ下りればネリー宅にそろって引き取られるはずだったものの、バークとルーシーが終始そんな調子であるため結局ネリー夫妻にも同居を拒否され、二人がもう一度ひとつ屋根の下に暮らすことはついに叶わぬ夢となるのでした。
優しい人々と最後の別れ「生まれ変わってもまた夫婦に」
こんなバークとルーシーの振る舞いを観て、前半はね、申し訳ないんですけども、本当に本当に申し訳ないんですけども、「子供たちも大変やなあ」って思ってしまうわけですよ。自分たちの生活でいっぱいいっぱいだろうに、無収入のおじいとおばあの世話までしなけりゃならないなんて…ってね。
でもね、ラストのバークとルーシーが街へ出て久しぶりのデートを楽しむ場面で、初めて出会った他人のみなさんのこの老夫婦に対する優しさを観て、自分が恥ずかしくなってしまうんですよ。そうしてひとしきり自分を恥じたあとは、どうしようもなくバークとルーシーが羨ましくなってくる。
その感情は駅のホームで別れ際、お互いに「お前(あなた)と一緒になってよかった。生まれ変わってもまた夫婦になろう」と誓い合う老夫婦の姿を観た時にマックスメーター振り切れます。
最後には必ず誰もが冒頭の字幕を思い出すことでしょう。
日々の生活はあわただしくそれに乗り遅れた人々を顧みる余裕は誰にもない
彼らの笑顔や涙は無視される
老人と若者が理解し合える魔法などないのだ
私たちの間には断絶という峡谷がありその苦しみの隙間に橋を渡せるのはかつての賢人の言葉にしか見ることができない
“汝の父母を敬え”
出典:【明日は来らず】冒頭字幕
映画【明日は来らず】の感想一言
バークとルーシーは最後のデートの場面で「一生懸命働いて子供たちを大事に育てて頑張ったつもりやったのに、その子供たちからこんな仕打ちを受けるなんて、それ自体が自分達のやり方が間違っていたっていう証拠や」と人生を振り返ります。
「どこかで自分達は間違ってしまったんや」と。
彼らの人生が間違っていたかどうかは分かりません。
分かりませんけど、少なくともその“間違い”の責任をお互いになすりつけたりせず生まれ変わってもまた夫婦になりたいって言い合えるパートナーに出会えたことは幸せでしょうにって思います。
そんなパートナーに出会える確率なんてゼロに近いんじゃね?いや正味。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。