1938年/アメリカ/監督:ウィリアム・ワイラー/出演:ベティ・デイヴィス、ヘンリー・フォンダ、ジョージ・ブレント、ドナルド・クリスプ、フェイ・ベインダー、マーガレット・リンゼイ、リチャード・クロムウェル/第11回アカデミー主演女優・助演女優賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

オスカー11回ノミネートの実力派女優ベティ・デイヴィスが、【青春の抗議】に次いで2度目のアカデミー主演女優賞に輝いた壮大なメロドラマ。
- 1850~60年代のアメリカ南部が舞台であること(“ニューオーリンズ”と“アトランタ”)
- 主人公に避けようのない災厄が降りかかること(“黄熱病”と“南北戦争”)
- 主人公(“ジュリー・マースデン”と“スカーレット・オハラ”)とその恋敵となる女性(“エイミー・ブラッドフォード・ディラード”と“メラニー・ウィルクス”)の性質が似ていること
これらの理由で、折に触れ翌年公開の【風と共に去りぬ】と比較される映画です。
1939年/アメリカ/監督:ヴィクター・フレミング/出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、ハティ・マクダニエル/第12回アカデミー作品・監督・主演女優・[…]
類似箇所が多い一方で大きな違いはと言えば、当時のアメリカ南部の慣習や白人農園主たちに懐疑的であること。
【風と共に去りぬ】に比べると非大衆的だけど見応えあります、【黒蘭の女】です。
映画【黒蘭の女】のあらすじザックリ
「半分は天使、半分は妖婦、すべてが女」ベティ・デイヴィス
主演女優ベティ・デイヴィスの公開時のキャッチコピーは「半分は天使、半分は妖婦、すべてが女」。

1852年、ニューオーリンズの名家の娘ジュリー・マースデン(ベティ・デイヴィス)は、その可憐な見た目で社交界の人気者でした。同じ南部の紳士バック・カントレル(ジョージ・ブレント)と付き合っていたこともありましたが、彼女のハートを射止めたのはディラード銀行の御曹司で北部出身のプレストン・“プレス”・ディラード(ヘンリー・フォンダ)。
お嬢様育ち特有のわがままさとプライドの高さからなかなか素直にはなれないものの、ジュリーはプレスを心から愛していました。
いよいよジュリーとプレスの婚約が発表される舞踏会当夜、独身女性は「白」のドレスを着なければならない暗黙の習わしがあるところ、堅苦しい慣習に辟易するジュリーが選んだドレスは「真っ赤っか」。しかも赤は赤でも「朱色」とか「薄紅色」とかでなく明らかに「深紅」。モノクロ映像だけど絶対「深紅」。

これには今までジュリーのわがままを許して大人の対応を続けてきたプレスもついに堪忍袋の緒が切れる。
舞踏会のあと、2人は別れてしまいます。
慣習がなんぼのもんじゃい
服装にしろ嗜好にしろ多様化が叫ばれる現代ではあり得ない、こんな描写が連発される映画です。
酷いんですから、舞踏会のシーンなんて。

赤いドレスを着たジュリーを会場にいる人全員が避けて行く。
それはもう【十戒】の海ばりに。
1956年/アメリカ/監督:セシル・B・デミル/出演:チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナー、アン・バクスター、セドリック・ハードウィック、ニナ・フォック、ジョン・デレク、デブラ・パジェット、イヴォンヌ・デ・カーロ/第29回アカデ[…]
パーティに自分の好きな色のドレス着て行ったらあかんのかい。
170年近くも前のアメリカの慣習に文句言ってもしゃあないんですけど。
とは言えジュリーが世間のそんな視線にさらされても婚約者のプレスだけは違うんだと思うでしょう?ちゃんとジュリーと一緒に踊ってくれることですし。
違うんですこれ、プレスは黙ってブチ切れてるんです。
さすがに冷たい視線に耐えられなくなって「帰らせてプレス!」と言うジュリーの手を取って、無理矢理踊らせてお灸をすえてるってわけ。
そしてパーティは終わり、それだけのことで当たり前のように「婚約破棄」。

もっと酷いのは「決闘」。
この時代の南部の男性は「名誉を汚された」となったらすぐ「決闘」しよるんですね。もちろん獲物は銃です。背中合わせに立って、○歩進んで振り返って撃つ、って、あれ。

バックなんか決闘して普通に死にますから。
それも「自分の名誉を汚された」と言うよりは「敢えてジュリーの策略にハマってあげた」みたいな感じで。
命軽 !
冒頭にも書きましたが【黒蘭の女】は南部の話なのに(当時の)南部の慣習をdisっているきらいがあって、もし1850~60年代のアメリカ南部を描いた映画としてメジャーになっていたのが【風と共に去りぬ】じゃなく【黒蘭の女】だったら、今の【風と共に去りぬ】ほど人権団体から抗議は来なかったのかも知れないなんて思ったりしています。
原題【Jezebel】と邦題【黒蘭の女】の意味
原題の【Jezebel 】は聖書に出てくる毒婦の名前。自分を棄てて別の女性と結婚したプレスをこらしめるため元カレのバックをけしかけたジュリーを見て、ジュリーの叔母ベル(フェイ・ベインダー)が思い出したのが毒婦イゼベル。
この時すでにジュリーのせいで1人死んでいますから彼女が毒婦に例えられるのも納得。

難解なのは邦題の方。
原題と1mmもかすってない【黒蘭の女】ってどういうこと?
「黒蘭」の花言葉を調べてみても見当たりません。そもそもどんな花なのさ。
「黒蘭」
花の色が暗紫色であることからその名が付きました。葉は広楕円形で先はとがり基部は鞘状で茎を抱きます。花は暗紫色の花を5~10個総状につけけます。多年草(宿根草)ですから、地上部が枯れても地下に栄養を蓄積し、翌春に芽を出すサイクルとなっています。
出典:日本野草の苗販売『エルブ』
黄熱病にかかってしまったプレスのため、これまでの行いを悔いて自分の命の危険を顧みず彼の看護を申し出た不屈の女ジュリー。
そんな彼女を「毎年花をつける宿根草」に例えてるのかも知れないけどちょっと無理がありますね。

舞踏会で着たドレスがホントは「赤」だけどモノクロ映像だとどう観ても「黒」だから、それに引っ掛けて【黒蘭の女】になったって単純路線が意外と濃厚なのかも?
映画【黒蘭の女】の感想一言


何があろうが気丈に振る舞うプライドの高いジュリーが、堪え切れなくなってついに泣き出してしまう場面がたまらなく哀しい。気の強い部類に入る私もこういう泣き方には覚えがあります(男にウケないんだこれが)。
数々の強気伝説を持つベティ・デイヴィスですから、この場面に関しては素の自分を出してるだけなのかも知れませんけど、やっぱり彼女の演技って無双です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。