【牛(1969)】

映画【牛(1969)】あらすじと観た感想。子供を亡くすよりダメージデカそう

映画の概要と注意事項

1969年/イラン/監督:ダリウシュ・メールジュイ/出演:エザトラ・エンテザミ、アリ・ナスィリアーン

【牛(1969)】
©Gaav/牛より引用

タイトル見てどんな映画やねんて思てたんですよ。

普通思うでしょ?思うよね?

でもね、実際鑑賞してみるとね、もうこのタイトル以外考えられへんのですわ。

これしかない。他に何も思いつかない。絶対正解。

イラン・ニューウェーブの先駆けとなった1969年のイラン映画、【牛(1969)】です。

参考 イラン・ニューウェーブ=1960年代後半からイランで展開された革新的な映画運動。

映画【牛(1969)】のあらすじザックリ

主人公ハッサンは村で唯一の牛を所有しており、その牛を我が子のように深く愛し、誇りにしていた。ある日彼が村を留守にしている間に牛が突然死んでしまう。帰宅して事実を聞いたハッサンはショックから現実を受け入れられなくなり、やがて自分自身が「牛」であると思い込むようになる。

大事な牛をうしなった男が牛になる

イランのある村にマシュ・ハッサン(エザトラ・エンテザミ)という男がいました。彼は飼っている雌牛をそりゃあもう我が子のように可愛がっているんです。

しかもただ可愛いだけではなく、労働に役立つ牛を飼っているのはこの村ではハッサンただひとり。この牛のお陰でハッサンは村で優位な地位に立つことができています。ハッサンにとってこの牛は単なる家畜なんかじゃなくて、愛する対象であり生活の基盤であり自慢の種でもあるわけです。

【牛(1969)】
©Gaav/牛より引用

ところが、ハッサンが外出している間にこの牛が突然死してしまうんですね。原因はなんだかよくわかんないんだけど。

【牛(1969)】
©Gaav/牛より引用

村人たちの激励も虚しく、家族同然のうしなったハッサンの精神は少しずつ崩壊してゆきます。

どんな風に崩壊するのかって?

そりゃ愛する牛の死をなかったことにするしかないでしょう。

自分自身が牛になっちゃうんですよ。

【牛(1969)】
©Gaav/牛より引用

飼葉かいばもぐもぐ。

いや笑うとこちゃいますよ。

助手

助手

(絶対笑ろてたわ…)

うしなったハッサンが現実を受け入れられず自分自身が牛であると思い込むようになる」だなんて、一見すると異様ですけど、その過程を観ているうちにハッサンの狂気を笑えなくなってきます。

だってもうホントに悲壮なんですもん。一瞬にしてハッサンの中で何かが崩れ、じわじわとそれが表面化して、ついには人語も話さなく(話せなく)なっていくハッサンが、とにかく悲劇的なんですよ。

ハッサンがここまで壊れてしまったのには、村人たちの行動も無関係ではなかったのかも知れません。

ハッサンの留守に牛が死んでしまったことを知った村人たちは、ハッサンを傷付けまいとして「牛が逃げてった!」って嘘をつくんです。それを聞いたハッサンは荒野を眺めて呆然。そりゃそうだ。

【牛(1969)】
©Gaav/牛より引用

善意が人を追い詰める典型的な例ですよ。

優しさと残酷さが共存する閉鎖的な小さな村。誰も悪くないのに現実が1人の男を追い詰めてしまう展開に胸が苦しくなります。

映画【牛(1969)】の感想ひと言

朱縫shuhou

朱縫shuhou

宗教的な雰囲気もある寓話的な作品です。

なんとかして最愛のうしなったハッサンを救うことはできなかったのでしょうか…。

助手

助手

そのダジャレ気に入り過ぎや。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

そんなあなたが大好きです。

朱縫shuhou 天衣無縫に映画をつづっている人

朱縫shuhou

「天衣無縫」と「温故知新」を信条として、主に古い洋画を好む映画好き。様々な映画を観たいのにホラーだけは怖くて観られない可哀相な初老。

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