1993年/アメリカ/監督:ラッセ・ハルストレム/出演:ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス、ダーレン・ケイツ、ローラ・ハリントン、メアリー・ケイト・シェルハート
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何を隠そう私が初めてジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオという俳優に出会った映画です。
全然知らない人だった主人公のギルバート(ジョニー・デップ)を観て、
何この人!
何この色気!
この俳優誰~っ?!
と出演作を調べまくった記憶があります。
当時はね、今みたいにネットで調べるなんて簡単にできなかったんで、「ハリウッド俳優名鑑」みたいなの漁りましたね。もー必死。
今でも数あるジョニー・デップ出演作の中で一番好きな映画です。
この後には月並みですが【シザーハンズ】と、続いて【エド・ウッド】か【ブロウ】辺りかな。
【ナインスゲート】と【耳に残るは君の歌声】はだいぶんクソでしたけどね。ジョニー・デップって昔は結構クソ映画出てたよね。
1990年/アメリカ/監督:ティム・バートン/出演:ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー、ダイアン・ウィースト、アラン・アーキン、ヴィンセント・プライス注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてま[…]
1994年/アメリカ/監督:ティム・バートン/出演:ジョニー・デップ、マーティン・ランドー、サラ・ジェシカ・パーカー、パトリシア・アークエット、ジェフリー・ジョーンズ、ビル・マーレイ、リサ・マリー、ジュリエット・ランドー/第67回ア[…]
レオナルド・ディカプリオは最初に観た時正直、「この子は本当に知的障害の子なんだな」って思いました。
それほど巧い。
神々しさが半端ない。
19歳の時に出演したこの映画でいきなりアカデミー助演男優賞にノミネートされてます。
ジュリエット・ルイスの「自由」を体現したかのような奔放なキャラクターもいい。
自己中に見えるけどみんなが自分の心のバランスを保つことに精いっぱいのギルバートの家族もいい。
全員がまるで隠居した老人のような町の人々もいい(ちゃんと若い人も子供もいるのに)。
映画全体に漂う鬱屈とした雰囲気もいい。
記憶に残って離れないのに何度も観たくなる名画、【ギルバート・グレイプ】です。
映画【ギルバート・グレイプ】のあらすじザックリ
もうすぐアーニー(レオナルド・ディカプリオ)の19歳の誕生日
音楽なしでダンスのような永遠に同じ町“エンドーラ”に暮らすグレイプ一家は今は5人家族。
一家の家計を支えるギルバートは重度の知的障害を持つ弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)の世話をしつつ町の食料品店で働いています。
父アルバートは数年前に地下室で首を吊って自殺。
母ボニー(ダーレン・ケイツ)は夫の自殺のショックにより過食症になり超肥満(ギルバート曰く「浜にうちあげられた鯨」)で動くことも困難。
姉のエミー(ローラ・ハリントン)は働いていた町の食堂が火事になって現在は家事手伝いっぽい。肥満の母の飯ばっかり作ってる。
妹のエレン(メアリー・ケイト・シェルハート)は15歳なのに学校に行ってる場面ゼロ。吹奏楽はやってるみたい。ギルバートが働いている食料品店の向かいのスウィーツ店でアルバイトしてる典型的な思春期女子。
実はギルバートの上にもう一人兄ラリーがいますが、家を出たきり音信不通のよう。
出てこない奴も合わせて5人もきょうだいいるんで、整理しときましょう。
②長女エミー(家事手伝い)
③次男ギルバート(食料品店勤務)
④三男アーニー(17歳・知的障害児)
⑤次女エレン(15歳・高校生)
誰かが体を拭いてくれないと一晩中でもバスタブに浸かったままでいるような知的障害を持って生まれたアーニー。
生まれた時は10歳までもたないと言われていましたが、数日後には無事に18回目の誕生日を迎えることができそうです。元気そうに見えても医者は「いつ死んでもおかしくない」との見解。
今年は母が発案し、パーティを開いて盛大に祝う計画を立てています。
この映画はそんなアーニーの18歳の誕生パーティまでの数日間を描いたものです。
ギルバート(ジョニー・デップ)の怠惰な日々
冒頭の独白からすでに、ギルバートはエンドーラでの怠惰な日々に嫌悪とも諦めともつかない負の感情しか持っていないことが分かります。
いつまでも子供のようでかわいいけれど言うことを聞かない(理解できない)アーニーの世話に終始し、食料品店の馴染み客カーヴァー夫人(メアリー・スティーンバージェン)との不倫に溺れ、いつもの食堂で友人とくだらない噂話に花を咲かせる…。
家を出ず動かずひたすら食べて家計を食いつぶす母親のことを「昔は町一番綺麗だった」と何度も言っているのは、「今は醜い」と強烈に思っていることの裏返し。
それでも兄のように家を捨てて出ていくこともできず、この家と町に縛り付けられているのです。
まともに動くこともできないほどの母親の体重よりも、もっと重い何かによって。
通り過ぎるだけだったトレーラーの群れに変化が
毎年誕生日が近くなるとアーニーが楽しみにしていることがあります。
町はずれの道路をトレーラーの一団が通るのです。
毎年通り過ぎるだけ。
それだけでもこの町では珍しい光景で、アーニーは「ホーンを鳴らして!」と大喜びでトレーラーに駆け寄ります。
しかし今年はいつもと違っていました。
1台のトレーラーが故障して動かなくなり、乗っていた祖母と孫の二人が立ち往生してしまったのです。
旅する少女ベッキー(ジュリエット・ルイス)との出会い
ある日ギルバートの食料品店にトレーラーの女性ベッキー(ジュリエット・ルイス)が買い物にやってきます。荷物を配達してあげたことがきっかけで親密になる2人。
ベッキーは例えるなら「風」のような女性。
トレーラーは草原に停めてあって、ベッキーの登場シーンは風が吹いていることが多いのですが、それがそのまま彼女のイメージを作るのに一役買っています。
幼い頃両親が離婚したため、引っ越し続きの人生だったというベッキー。
今やトレーラーで世界中を旅する生活だとか。
生まれてから一度もエンドーラから出たことのない半分土に埋まった大根のようなギルバートと、大陸を吹き抜ける風のようなベッキー。
当然ながらギルバートはベッキーに強く惹かれるようになります。
ベッキーももちろんギルバートに惹かれているのは分かりますが、そこはこの映画においては割とどうでもいい部分。
むしろベッキーはギルバートの心の声とも取れるような存在で、悩めるギルバートに
と質問を投げかけてくれたり、
と答えを導いてくれたりします。
こんな人が友人としてでも恋人としてでも家族としてでもいいから、ひとりでも傍にいるかどうかでその人の人生ってめっちゃ変わるような気がしません?
良くも悪くも。
「問いかけ」「答えを導く」、こんな人って必要ですよね。
ベッキーのカマキリの交尾の話と【ギルバート・グレイプ】の原題について
そしてこの映画の核心をついているのもベッキーの何気ない「カマキリの交尾の話」。
出会って間もないギルバートにベッキーはこんな話をします。
オスがメスに乗って交尾を始めると、メスはオスの首を食い切るの。
そして交尾が終わると体まで食べてしまうの。
出典:【ギルバート・グレイプ】字幕
この話は結構序盤で出てくるので、最初は意味が分からないと思います。
ギルバートがベッキーと親しくなったあと、不倫相手だったカーヴァー夫人は嫉妬に狂い始めます。
しかしもっと狂わんばかりに感情を爆発させたのはずっと以前から妻の不倫に気付いていながらも良い夫に徹し続けてきたカーヴァー氏。
カーヴァー氏はカーヴァー夫人の様子がおかしくなった翌日、子供用のビニールプールに頭だけ突っ込んで溺死しました。
それが他殺なのか自殺なのかは誰にも分かりません。
ただ事実として多額の保険金がカーヴァー夫人に支払われるだけ。
前述の「カマキリの話」がもっとも端的に象徴しているのはこのカーヴァー夫妻の不幸な出来事。
考えてみれば男性って、女のために稼いで貢いで、結構可哀想。悪い男だっていますけども、そーゆー奴に限ってオスカマキリのようには食われてくれないもんね。
ここで気になるのは【ギルバート・グレイプ】の原題【What’s Eating Gilbert Grape】。
直訳すると「ギルバート・グレイプを食べるもの(何がギルバート・グレイプを食べるのか?)」。
「What’s Eating」は「イライラさせる」などの意味も持つそうで、転じて「何がギルバート・グレイプをイラつかせているのか(悩ませているのか)」といったニュアンス。
もしかしたらベッキーが現れなければ、ギルバートもこの”メスカマキリ”カーヴァー夫人の餌食となっていたかも知れません。
それでなくてもギルバートはすでに食べられかけ。
ギルバートを食べてしまおうとしている(思考の大部分を支配してしまってる)“メスカマキリ”とは、家に「くっついてる」母親であり、家族であり、家や町そのものなんだから。
アーニーの誕生パーティで起こったこと
誕生日の前日、風呂を嫌がって暴れた上に高額な誕生日ケーキをつまみ食いしていたアーニーをついに殴り倒してしまうギルバート。
今まで大事に大事にしてきた可哀想な弟を、ついに。
家を飛び出したギルバートはベッキーと草原で一晩過ごし、翌朝バツ悪く家に戻ってきます。
アーニーもエミーもエレンもギルバートを責めず、そしてギルバートは初めて母ボニーの愛と弱さを知ります。
TVのリモコンを手元に置いて動かず食べるばかりの鯨だと思っている時はイライラもしましたが、家族をおいて突然自殺した夫や出て行ったきりの長男のように子供達がどこかへ行ってしまうのが怖くて仕方がないと吐露するボニーの姿は本当に哀れで、ギルバートでなくても傍にいてあげなければ、という使命感に駆られてしまうから不思議。
ベッキーと一緒に町を出てみたいと思いつつも、結局家族を愛していて、この家を捨てることはできないことをギルバートは改めて悟ります。
家族の愛を再確認できた平和な場面とは裏腹に、私の心ははやるばかリ。
だってやばい…。
このままじゃギルバートが食べ尽くされちゃう…。
ギルバート・グレイプの母ボニーの死因は?
アーニーの誕生日のあと、突如数年ぶりにひとりで階段を上り、2階の寝室へ向かうボニー。
ベッドに横になりそのまま文字通り眠るようにこの世を去ります。
まあ死因は極度の肥満による心臓への負担とかそんなんなんでしょうけど、この時のボニーが死ぬことを覚悟で2階へ上がったという見方もあるかと思いますが、私は反対派です。
まさかボニーは死ぬ気はなかったと思います。
ただ、変わろうとはしてたんでしょうね。
ギルバートが正式に他人(ベッキー)を堂々と紹介してくれたことで何かが吹っ切れて、これから痩せて綺麗な姿に戻って、子供達の自慢の母親になってやるとでも思ったのでしょうか。
結果的には死んでしまったことで子供達を解放する形になってしまったけど、このまま生きていてもきっとボニーは変わってくれて、数年後にはちゃんと子供達を自由にしてあげることができていたはず。
自分の「重さ」によってギルバートを食い尽くしてしまう前に。
参考 母のボニーを演じたダーレン・ケイツは2017年3月26日に亡くなっています。「ギルバート・グレイプ」女優死去 ディカプリオ「最高の母親」
映画【ギルバート・グレイプ】の感想一言
アーニーが何回もよじ登って騒動になる町の鉄塔……これマジで危険やのに立ち入り不可能な柵とか付けてもらわれへんかったんかいな。
アーニーでなくても酔っ払いとか絶対上るやんねえ?
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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