1980年/アメリカ/監督:ロバート・レッドフォード/出演:ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、ティモシー・ハットン、ジャド・ハーシュ、エリザベス・マクガヴァン/第53回アカデミー作品・監督・助演男優・脚色賞受賞
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!

殺人事件のニュースとか見てると、容疑者を知る人がこんな風にインタビューに答えたりしてますよね。それも結構な確率で。
こんな感じに証言される犯人なんて滅多に見かけません。
報道されないだけ?
まあそもそも思ってても言わないでしょうが。
いきなり殺伐とした極端な例を挙げてみました。
要するに、誰でもちょっと話した内容や普段の暮らしぶりだけでは他人のことなんてわかんないってことが言いたいのです。
家族3人で豪邸に暮らし、父は弁護士、母は社交的で完璧に家事をこなし、息子は成績優秀の優等生…という、一見すると超勝ち組一家であったとてそれは同じこと。
誰だって少なからず何かを抱えていますわね。
名優ロバート・レッドフォードが初めて監督としてメガホンを取りオスカーを獲得したヒューマンドラマ、【普通の人々】です。
映画【普通の人々】のあらすじザックリ
音もなく静かに崩壊していく「家族」
うなされて汗だくで目覚めるコンラッド(ティモシー・ハットン)。

コンラッドは半年前に悪天候による転覆事故で一緒にヨットに乗っていた兄バック(スコット・ドーブラー)を亡くしました。
その後、コンラッドは手首を切って自殺未遂。
一命を取り留め入院生活から解放され、ようやく自宅に戻り再び学校にも通い始めましたが、こんな調子で眠れない情緒不安定な日々が続いています。
それぞれの立場で考えてみる
バックが死んだことで崩壊したかのように見えるコンラッドの家族は、実はもともと崩壊寸前だったようです。
もともと不安定であった4人の「家族」が、長男バックがいることでかろうじて安定を保っていたっぽい。
バックが生きていた時には気付く由もなかったこの事実が、バックの死をきっかけにして少しずつ露見していきます。

誰の身にも当然のごとく起こりうる身近な問題がテーマなので、それぞれの立場で色々考えながら観てました。
息子:コンラッド
ヨットが転覆するほどの荒波の中、バックの手を離してしまったことで自分を責め続けているコンラッド。

…あんなもん誰でも離してしまうわ…。
しかも兄は母ベスに似て社交的で人気者で水泳部のエース、家族にとっても常に中心にいるある意味カリスマ的な人物。
コンラッドは多少なりとも幼い頃から劣等感も持っていたことでしょう。
作中で明言されることはありませんが、「自分が死んでバックが生き残ればよかった」とまで思ったかも知れません。
私がコンラッドの立場なら
一度家族ともバックを知る友人とも離れて、独りで遠くへ引っ越してみるのはどうかなあ?
実際コンラッドは自殺未遂をして入院していた病院での生活を「楽しかった」と言っています。
誰もバックのことも自分のことも知らない世界で、やり直してみるのええんちゃう?
父親:カルビン
情緒不安定の息子と自己愛が強く外面ばかり気にする妻との板挟みになってる苦労人カルビン(ドナルド・サザーランド)。
気が小さいのか平和主義なのか、声を荒げるようなことは滅多になく、いつも愛想笑いを浮かべています。コンラッドに精神分析医を訪ねるよう勧めたのもカルビンでした。

そうやって各方面に気を遣っているようなそぶりをしてますが、読みが浅くてちょっと鈍感。
バックの死よりももっと以前から、バックには普通に怒鳴ったりもするのに、「優等生だから叱る必要がない」という理由でコンラッドに対しては甘かったのが逆にコンラッドに疎外感を抱かせていた事に気付いていない、かわいいおバカさんです。
私がカルビンの立場なら
父親でしょ?
すんごい昭和ですけど、息子が自殺しようとしたりしたらぶん殴っちゃうかな?
あかんのか、最近はこーゆー「根性論」とか「星飛雄馬」とかって敬遠されがちですよね。
…いやでもあかんわ。
私が父親やったらきっとぶん殴る。
そして息子にはちゃんとそれを愛やと受け止めて欲しい。
…余計死のうとしよる?
母親:ベス
私が最も理解できるのがこの母親のベス(メアリー・タイラー・ムーア)の心情です。
同じ「母親」という立場だからではなくて、ちょっと性格似てるような…。はは。
女性に多いかも知れませんけど、体裁とか気にしちゃう時あるんですよね~。
カルビンとベスが友人とのパーティに向かう車の中で深刻な話になっているのに、会場に着くと周囲に気付かれないように「ほら笑って!」とかね。
すげー分かる。
でも複数いるきょうだいのどちらか(どれか)だけをあからさまに可愛がる心情だけはさっぱり分かりません。
どーゆー心理なん?
私、子供全員死ぬほどかわいいけど?

私がベスの立場なら
ベスはもうホントにコンラッドに愛情がないような感じなので(「母親が息子を愛してない訳ないでしょう?」ってセリフが逆に証明してしまってる)、その感情もありきでのベスの立場であったなら、バックが死んだ時点で家を出ます。
愛してない子供と一緒に暮らしてもその子供にいい影響は与えないやろうし、カルビンとも恐らく惰性と世間体だけで一緒にいるんでしょうし。
何の未練もなく去ります。
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…ちょっと待てよ、カネ…
まあ金はえっか。
夫弁護士やし。
慰謝料的なもんと当面の生活費的なもん、たらふくもらえるやろ。
「家族」が崩壊すると何が残るの?
カルビンに「もう愛してない」と言われたベスが家を出ていき、たった2人残った父と息子がまるで悪魔祓いでもしたかのようにすっきりした表情で本音を少し語り合う場面で物語は幕を閉じます。
しかしこの家族にとって出て行ったベスが元凶であった訳ではないはず。
冒頭にも書きましたが、この家族は様々な事情が折り重なって「もともと」崩壊していたのに、全員がそのことに気付かず(或いは気付かないふりをして)、「普通の家族」を演じ続けていたことが問題。
バックの死によってその正体が明らかとなり、名実ともに崩壊の途を辿ることとなってしまっただけのこと。

でもきっとコンラッドとカルビンなら大丈夫です。
コンラッドはきちんと「パパ愛してるよ」と言えましたから。
そしてカルビンはコンラッドに「バカ野郎!」と怒鳴ることができましたから。
映画【普通の人々】の感想一言
一家の癌であることは間違いないんだけど、一概にオカンだけが悪いとも言えないしなあ…難しい映画ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。