1990年/アメリカ/監督:ペニー・マーシャル/出演:ロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズ、ジュリー・カブナー、ルース・ネルソン、ジョン・ハード、ペンロープ・アン・ミラー、マックス・フォン・シドー、アリス・ドラモンド
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
原題は「覚醒」を意味する【Awakenings】なんですけどね。
映画の主人公マルコム・セイヤー(ロビン・ウィリアムズ)のモデルであるオリバー・サックス医師の原作著書では、別名「眠り病」とも呼ばれる「嗜眠性脳炎」(近年はあまりみられない病気らしい)の患者全員について述べられていますが、映画では患者のひとりレナード・ロウ(ロバート・デ・ニーロ)だけがクローズアップされているので、邦題は彼の固有名詞を含めた【レナードの朝】となっています。
レナードと同じ「眠り病」の患者も大勢出てくるし、レナードと同じように「目覚める」患者も出てくる。
でも他の患者の命運は、すべて最初に「目覚めた」レナードにかかっていると言ってもいい。
「眠り病」を患う人たちにとって「レナードの朝(目覚め)」がどれほど重要な意味を持つのかがよく分かるこの邦題、良いと思います。
映画【レナードの朝】のあらすじザックリ
ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」は関係ない
【レナードの朝】と言えばよく勘違いされているのが、ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」との関連性。
「アルジャーノンに花束を」を原作だと思っている人って結構いるんですよね。私も聞かれたことがあります。
答えとしては「まったく関係ありません」が正解。
【レナードの朝】のレナードは「嗜眠性脳炎」の患者で、「アルジャーノンに花束を」の主人公チャーリイは知的障害者。双方ともに薬を投与されて知性を得るという過程と、最終的にもとの状態に戻ってしまうという結末が似ているんで勘違いされるんでしょうね。
でもレナードが罹患する以前の自分を取り戻し文字通り「目覚めた」だけであるのに対し、元知的障害者だったチャーリイは、投薬によって一般教養のみならず自分を治してくれた大学教授らをも凌駕する知性を身につけます。いわゆる“天才”にまでなってしまうんです。「振り幅」がすごいんで、そりゃあもうめちゃくちゃ面白いですよ。
「アルジャーノンに花束を」はチャーリイの一人称で語られる物語で、当然ながら知的障害がある彼が書いた(体 の)最初の方の文章は、誤字だらけの平仮名ばかりで読むに耐えない稚拙なものです。それが投薬されてからというもの徐々に「研究論文か!」と疑うほどに小難しく進化し、薬の効果がなくなる後半には再びどんどん「バカ(チャーリイは自分のことをこう呼ぶ)」が書いた作文に戻っていきます。この過程はほとんど涙で読めません。
おすすめです。
余談ですが氷室京介の「DEAR ALGERNON」と言う曲は、氷室京介自身がこの小説に感銘を受けて書いたものです。
この曲を聴きながら「アルジャーノンに花束を」を読んでみてください。学生時代これをやって嗚咽 するくらい泣いたもんです。
ちなみに“アルジャーノン”は主人公じゃなくて実験に使われてるネズミの名前。
「眠り病」を患うレナードの目覚め
怖い病気ですね、「嗜眠性脳炎」、別名「眠り病」。
その名の通りこれに罹患すると、患者はまるで半分眠っているようになってしまうそうです。
レナードが罹患したのはまだほんの少年だった頃。「眠り病」のウィルスに感染したらしい彼は、成績優秀だったにもかかわらず日に日に字を書くことさえできなくなり、そのまま全身麻痺のような状態になってしまいます。
植物とピアノと語らうマルコム・セイヤー医師が着任
それから30年。レナードの病院に新たに着任したのがマルコム・セイヤー医師。
軽度の対人恐怖症(特に女性が苦手)みたいなセイヤーは、医師とはいってもこれまで研究ばかリしていて臨床経験は皆無。
…大丈夫かこのおっさん…。
それにしてもこういう挙動不審の男性役演らせたらロビン・ウィリアムズの右に出る者はいませんよね。
セイヤーは反射神経や聴覚に訴えかけることで、これまでピクリとも動かなかった患者たちに劇的な変化をもたらします。そうこうするうちに行き着いたのが、まったく別の病気(パーキンソン病)のために開発された新薬が効くかもしれないという仮説。
セイヤーの仮説は見事的中し、「実験体第1号」として投薬されたレナードは目覚めるのです。
「病気だけが敵」の優しい世界
【レナードの朝】の好きなところは、誰も悪い奴が出て来ないところ。
大胆な仮説のもとにレナードを目覚めさせたセイヤー。
動かないレナードの身の回りの世話をしてきた年老いた母。
看護師たちも目覚めたレナードを暖かく迎え入れ、病院の後援者たちは彼と同じ症状の患者にも薬を与えるため出資してくれます。父親の見舞いに来ていた女性ポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)はレナードを見ても偏見を持ちません。
これまでセイヤーの診療に否定的だった院長だって、いざ元気になったレナードや他の患者たちの姿を目の当たりにすると顔がほころんでしまっています。
この病気の治療にあたった医師が研究の内容と病院内の出来事を記したノンフィクションが原作ですから当然と言えば当然ですが、【レナードの朝】における「憎むべきもの」は「病気」だけであって、誰ひとりとして悪人がいない作品であることが、パンチがないと言えばないような気もしますけど、私は何となく繭の中にいるような安らぎを覚えます。
映画【レナードの朝】の感想一言
「暖かい映画だ」と言っても、終盤再び病魔に蝕まれて痙攣と麻痺が戻ってくるレナードの姿には目を逸らさずにはいられません。
ひきつる体で自分を研究材料にしてもらうために「僕を映せ!記録しろ!学べ!」と叫んだレナードと、痙攣が止まらないレナードの衝撃的な姿を撮影し続けたセイヤーに拍手。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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