1920年/アメリカ/監督:D・W・グリフィス/出演:リリアン・ギッシュ、リチャード・バーセルメス、ロウエル・シャーマン、バー・マッキントッシュ、メアリー・ヘイ、ケイト・ブルース
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
「アメリカ映画の父」D・W・グリフィスによる壮大なメロドラマ。
公開当時大ヒットしたと言いますが、女の身としてはこの映画のヒットを素直に喜んで良いのかどうかよく分からない。
なぜって、ヒットするということは映画の内容が少なからずその時代の人々の共感を得られたってことでしょう?
映画に出て来る「女性を“性のはけ口”としか見ていないクズみたいな男」の描写が、「こんなクズおるかいな!」とツッコめるくらい突拍子もないものではなかったってことでしょう?
最後にはちゃんと成敗されてくれるとは言え、いつの時代にもこんなクズは一定数存在するのかと思うとはらわた煮えくり返るよね。
可憐で純朴な田舎娘を騙すようなクズは死んでくれ、頼む。
【東への道(1920)】です。
映画【東への道(1920)】のあらすじザックリ
悲劇の田舎娘リリアン・ギッシュ
しかしこの悲劇の事の発端はもしかしたらヒロインのオカンにあるのかも知れません。
だってこのオカンと来たら、田舎で生まれ育った無垢で世間知らずな一人娘アンナ・ムーア(リリアン・ギッシュ)を大都会の親類のもとへ金の工面に行かすんだもん。それも単身で。
この親類の家に出入りしていたのが前述のクズ、サンダースン(ロウエル・シャーマン)で、女ったらしのサンダースンは可憐なアンナを見るやロックオン。でもそれは何も彼に限ったことではなく、アンナに会った男たちはみんな、都会の女性にはない彼女の素朴でプレーンな魅力に吸い寄せられてしまいます。
オカンもよくもまあ美しい我が娘をこんな狼の巣窟に…って思うんですけどでもあれか、よく考えたらオカンも田舎育ちやから都会の怖さなんか分からへんのか。
案の定サンダースンの話芸(“芸”ですよこんなもん“芸”)にすっかりほだされてしまうアンナでしたが、さすがに身持ちは固く、一線を超えるようなことはありませんでした。
そこで抜かれたサンダースンの伝家の宝刀。
腹っ立つでしょう?
夢見る田舎娘にこんなん反則ですよ。
けっこん…?
そんなに私のことを…?
一発ですわ。
約100年前の映画で現代のメロドラマと似たような展開が観られるなんてね。それほど女という生きものは今も昔も「結婚」の約束に弱い。そこに付け込む男も男だけど、女性もしっかりせなあきません。
アンナに至っては結婚式こそ挙げてもらうものの(神父も参列者もサンダースンと仲間 )、夫婦になったはずのサンダースンが親類縁者の誰にも妻である自分を紹介しないなんてあり得ない。それ以前に、結婚前に花婿が花嫁のオカンに挨拶に行かないのもあり得ない。
その時点でちょっとは疑わないと。
両の眼 をしっかり開いて男の本性を見極めましょう。
クズ男に復讐するのはお止めなさい娘さん
それにしても新婚初夜のアンナの艶 やかさと来たら半端なくて、本人が狙っているワケじゃないとはいえこれはこれで罪なのかも知れません。
さっきまで確かに少女だったはずなのに、レースのネグリジェを着て恥ずかしそうに上目遣いで求められた日にゃあ、同性だって溜め息が出ます。私がもし男性であったならサンダースンと同じく、この瞬間のためならどれほどの嘘を並べても構わないとさえ思えるでしょう。
そういう意味では美しい女性って大変ですよね。得することもたくさんあるのでしょうが、それと同じくらいこんな風な甘い罠も転がってるんでしょう?知らんけど。
己で考えて耐性つけていくか、終身護ってくれるパートナーを見つけるかしかないね。
でもですよ、そこの綺麗な娘さん。
神経とがらせて気をつけて用心して、それでももしあなたがサンダースンのようなクズ男に騙されてしまった場合はですよ、復讐を企てることだけは絶対にしてはいけません。
いかなる内容であってもクズについて思考するなんて時間の浪費です。クズのことはさっさと忘れて次の幸せを見つけましょう。
映画【東への道(1920)】の感想一言
ウキウキと都会へ出掛けて行ったアンナは、一度は「どん底」とも言える苦渋を味わうことになります。あまりにも不幸で気が狂ってしまうんじゃないかと思わされるし、このまま死んでしまうんじゃないかとも思わされる。
でもだからこそハッピーエンドのラストに涙があふれる、ものすごいスケールのメロドラマ。
クライマックスで凍てつく川を流れて行くアンナが救出されるシーンは圧巻です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。