1949年/アメリカ/監督:キャロル・リード/出演:ジョゼフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリ、トレヴァー・ハワード、バーナード・リー、パウル・ヘルビガー/第23回アカデミー撮影(白黒)賞受賞
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死ぬほど有名な映画でありながら、なんと第23回アカデミー賞では作品賞にノミネートすらしておりません(監督賞と編集賞にノミネート。白黒部門の撮影賞を受賞)。
おはこんばんちは、朱縫shuhouです。 当サイト「天衣無縫に映画をつづる」では、よりよい映画に出会うため「名作と言われる映画をとりあえず一通り観てみる」ことを推奨しています。しかし名作と言っても世[…]
【素晴らしき哉、人生!】に代表されるような、後年評価が見直された映画のひとつ。
カメラは斜め。
女はムカつく。
ダッフルコートはおしゃれ。
オーソン・ウェルズはしもぶくれ。
ウィーンの並木道は息を呑む美しさ。
【第三の男】です。
映画【第三の男】のあらすじザックリ
オーソン・ウェルズが有名だけど彼は主人公じゃない
【第三の男】と言えば【市民ケーン】のオーソン・ウェルズですよね。
1941年/アメリカ/監督:オーソン・ウェルズ/出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ドロシー・カミンゴア、エヴェレット・スローン、レイ・コリンズ、ジョージ・クールリス、アグネス・ムーアヘッド/第14回アカデミー脚本賞受賞[…]
しかし【第三の男】の主人公はオーソン・ウェルズではありません。
重要な役割を果たすキーマンではあるものの、出演時間そのものだってほんのちょっと。にもかかわらずその短時間で発した存在感が半端なかったので後世にバリバリ名を残すことになったのです。
いや彼自身の煌めく存在感もすごいけども。
演出もずるい。
こんなけ引っ張り倒してタメにタメたあと、光と影とダッチ・アングルを多用した斬新なカメラワークを駆使して登場させてもらえたら、誰が演じても主役食うくらいのキャラクターができあがるんちゃうんかいって一瞬だけ頭をよぎります。
参考 ダッチ・アングル=カメラを傾けて敢えて水平にせず撮影するカメラの技法
とは言えやっぱり、仮に主人公ホリー・マーチンスを演じたジョゼフ・コットンと“第三の男”オーソン・ウェルズのキャスティングを取り換えて同じ演出をほどこしたとしても、これほど強烈なインパクトは与えられないんでしょうね。
逆に正義感の命じるままに自分の信念を貫く生真面目なホリーをオーソン・ウェルズが演じても光らないんでしょうし。
キャスティングって大事。
“第三の男”ってフレーズがすでにカッコいい
映画が有名になったお陰で、今でもダークホース的な意味で“第三の男”ってフレーズ使われたりしますよね。
なんかこのフレーズカッコよくないですか?
誰もが認める王者がいて、実力伯仲の対抗馬がいて、一騎打ちと思われた勝負の陰に、実はもうひとり隠れた強敵が…!みたいな。
映画での“第三の男”とは意味合いがちょっと違うんですが。
映画【第三の男】のタイトルは次のふたつの事実から来ています。
現代でよく使われるダークホース的な意味は皆無。
でもなんでしょうね、この「選ばれた民」な感じ。
“第三の男”。
なんかカッコええでしょ?
観覧車のセリフ「スイスは鳩時計だけ」
ダッフルコートがよく似合うキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)の言う通り、子供にまで深刻な被害を及ぼしている水で薄めたペニシリンを町中に売りさばいていたのはハリーでした。
それを知ったホリーはハリーと接触し事実の確認と説得を試みますが、ハリーはさらっと名言吐いて去って行きます。
こんな話がある。
ボルジア家の30年、争い続きのイタリアではルネサンスが開花した。
兄弟愛のスイスでは500年の民主主義と平和で鳩時計止まりさ。
じゃあな。
出典:【第三の男】字幕
これね。
イカれたサイコが自分は必要悪やと本気で信じてるパターンね。
世界のどこかで戦争が起こってないとダメとか云う類 の危険思想と一緒。
メルヘンな世界観の観覧車に成人男性2人が乗り込み、汚い話をしてるこの場面好きです。
観覧車のドアを開けたハリーは地上の人間を見て、「あんなもん1人や2人消えたってなんてことない」みたいなこと言ってますし。人がゴミのように見えるムスカ症候群ですよ。
確かに抑圧されることによって対抗勢力が増大することもあるでしょうが、平和が何も生まないってのは極論でしょうが。
スイスだって鳩時計以外に何か生んだでしょ。
てか鳩時計だってすごいやん。
ポッポー言うんですよ?
時間が来たらポッポーて。
最後に引き金を引いたのは誰か
ご丁寧にコジャレたダッフルコート着てくれてるのでわかりやすいんですけど、キャロウェイ少佐はイギリス軍ね。
下水道に逃げるもイギリス軍に追い詰められ逃げ場の無くなったハリーと、そこに現れたホリー。
言葉は交わさず場面が変わり、銃声だけが響きます。
次の場面で再び「ハリーの葬式」が行われているわけですが、ハリーが死んだのはホリーが撃ったためなのか自害したためなのかは謎のまま。
様々な意見がありますけど、私はホリーが撃ったんだと思ってます。
だってハリーは両手を地上に出してたから銃を取り出すのも不可能だし、自害する意味があんまりないような。
もし自害したとするなら自分の行いに僅かでも良心の呵責があったってことになるでしょ?
いやあ~ないよハリー。
良心の呵責?ないない。
「平和なんて鳩時計しか生まへん」なんて本気で思ってる人、自分以外の誰が苦しもうが屁とも思わへんでしょ。
片や正義感の強いホリーなら、どうしようもなく変わってしまった親友の人生を自分の手で終わらせてやりたいと思うかも知れない。
ハリーの恋人アンナ(アリダ・ヴァリ)に説得されて一度は思い止まるものの、もしかしたら観覧車での再会の時からすでに、殺さなければならないと予感していたのかも知れないし。
アンナのよく分からない屁理屈にご立腹
ところで登場人物の中でもっとも思考の次元が低すぎて話にならないのがアンナ。
粗悪ペニシリンによって苦しむ人が後を絶たない現実を知っても低~いレベルでしかものを考えられないカワイ子ちゃん。
彼女はイギリス軍の「ハリー狩」に協力するホリーを次のように罵ります。
かわいそうなハリー…。
正義がそんなに大事?私は裏切れない。
私たち彼を愛したけど何をしてあげた?
人の非を責められる立場なの?
何の話やねん!
意味分かります?
私全然分からなくて。
「彼に何をしてあげた?」ってどういうこと?一度は愛したんだからこのままハリーが逃げるのに手を貸さなあかんやろってこと?もっと被害者が増えるのに?
逃亡に手を貸さないまでも軍隊に密告するなんてってことかも知れないけど、捜査に協力はするべきやろ。冤罪ならいくらでも恋人や友達を匿ってあげたらええけど、苦しんでいる人がいる以上は加害者が大切な人やからこそ止められるものなら止めないとあかんのちゃうの?
大量虐殺するアドルフ・ヒトラーを野放しにしなさいって言ってるようなもんでしょ?
理由は「愛してるから」。
は?
「(親友に裏切られて)可哀想なハリー」って、じゃあ粗悪ペニシリンで苦しんで死んだ人たちは可哀想ちゃうんかい。
どんな個人的感情レベルで話してんねん。
いや分からん分からん。
そんでラストで、傍らで待ってるホリーを 無視 って。
女子中学生か。
話せ話せ。話し合え。
映画【第三の男】の感想一言
ちょっと何言ってるか分かんないアンナはほっといて、戦後のウィーンの退廃的な情景(町のすぐ隣に普通にゴミ山とかがある)や巧みな脚本は記憶に残ります。
死んだハリーの友人を名乗るクルツ男爵(エルンスト・ドイッチュ)の抜きんでた曲者感も良い。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。