1921年/アメリカ/監督:チャールズ・チャップリン/出演:チャールズ・チャップリン、ジャッキー・クーガン、リタ・グレイ、エドナ・パーヴァイアンス、アルバート・オースチン
注※このサイトは映画のネタバレしようがしまいが気にせず好きなこと書いてます!未視聴の方はご注意ください!
みなさんはこの映画を
ほほえみと一粒の涙とともにご覧になるでしょう
出典:【キッド】冒頭字幕
さて本日は、冒頭でこのような前置きをしてくれる親切な映画について書きます。
ご丁寧に予言してくれているものの、実際「ともにご覧になる」のは「ほほえみ」と「一粒」の涙どころの騒ぎじゃこざんせん。
チャールズ・チャップリン作品の特徴であるペーソス(哀愁)こそさほど感じられないものの、「爆笑」と「大粒の涙」がランダムに押し寄せてくるスタンダードなチャールズ・チャップリン映画です。これが自身初の長編映画とは思えないほどすでに完成されています。
例によって製作・脚本・編集・音楽・主演はすべてチャールズ・チャップリン。とにかく子役のジャッキー・クーガンが可愛いったらない。
【キッド(1921)】です。
映画【キッド(1921)】のあらすじザックリ
チャップリンが父親に
とある綺麗な女性(エドナ・パーヴァイアンス)が赤ん坊を抱いて慈善病院 から出てきます。
どうやら女性は赤ん坊の母親であるらしい。でも近くに赤ん坊の父親らしき男性の姿はありません。たったひとり、真顔のまま病院をあとにする母親の様子と、このあと映し出される医師と看護婦の、憐みとも蔑みともつかない妙な表情を見れば状況は一目瞭然。


生まれたての赤ん坊を抱え途方に暮れた母親はなんと、路上駐車中の無人の自動車の後部座席に赤ん坊をそっと寝かせて立ち去ります。
「この子をお願いします」と手紙を添えて…。

「なんちゅう母親や!」って思いますよね?
でもね、この母親は本当に、魔が差したというか、いや差しちゃダメなんだけど、男に捨てられ行くあてもなく、本当に本当に一瞬だけ、血迷ってしまっただけだと思うんです。この時もしかしたら彼女は、赤ん坊だけでも裕福な誰かに拾われて幸せに暮らしてくれれば…、と考えて、自分は死んでしまおうとしていたのかも知れません。
でも血迷ったのはほんの一瞬なんですよ。
彼女はすぐに我に返って、再び自動車が停まっていたところまで戻ってくるんです。

ところがどっこい。
自動車はすでに二人組の泥棒に赤ん坊ごと盗まれてしまっていました。
盗んだ自動車の後部座席に赤ん坊がいたことに気付いた泥棒たちは、近くの貧民街の片隅に赤ん坊をほったらかして逃げてしまったのでした。
「…うちくる?」引き取る決心をするまでの攻防
ここで朝の散歩中だったチャールズ・チャップリン扮する浮浪者が登場。
最終的には、さきほどの孤児 はこの浮浪者に育てられることになるんですけど、浮浪者が孤児を引き取る決心をするまでが面白い。
まず貧民街に落ちてる(?)赤ん坊を見つけた時のリアクションがよ。


んなワケあるか!
何回も上見んな!!

言うてる場合か!
そんな浮浪者が次に出た行動は、通りすがりの女性が押す乳母車に赤ん坊を入れるというもの(すでに別の赤ちゃんが入っているのに)。


赤ちゃん落とすかドアホ。
当然女性(乳母?)は怒って赤ん坊を突き返す。
ここから怒涛の展開。
仕方ないから元の場所に赤ん坊を置いて帰ろうと思ったら運悪く背後に警察官。「僕赤ちゃん捨てたりしませんよ~」と再び赤ん坊を抱きその場を立ち去る浮浪者。すると今度は通りすがりの杖をついた足の悪いお爺ちゃんに赤ん坊を押し付けてダッシュで逃げる。困ったお爺ちゃんは近くに置いてあった乳母車に赤ん坊を置いて逃走。そこへ浮浪者が通りかかった時、建物の中から先ほどの女性が出てきてまたしても乳母車に赤ん坊を入れられているのを発見。女性は激怒し、三度 赤ん坊は浮浪者の腕の中へ。
貧民街の通りに腰掛け、さっき拾ったばかりの赤ん坊を抱いて呆然とする浮浪者。
浮浪者はふと、赤ん坊のおくるみに挟まった手紙を見つけます。
「この子をよろしくお願いします」と書かれたあの手紙です。

ここでやっと浮浪者は赤ん坊に向かってニコリと笑い、セリフは聞こえないけど「…うちくるかい?」とでも言っている様子で、二人で貧民街のボロ家へ帰っていくのでした。
子役ジャッキー・クーガンの名演技
5年後。
あの時の孤児(ジャッキー・クーガン)は、浮浪者の詐欺の片棒を担げるほど利口(て言うてええんか)な子に成長していました。
【キッド(1921)】は浮浪者と成長した孤児の絆を描いた映画です。
孤児を演じたジャッキー・クーガンは当時6歳。ハリウッドが輩出した子役スターの第一人者です。

もともと舞台で子役を演じてはいたそうですが、映画出演は【キッド(1921)】が初めて。
その演技の素朴さや観ている人に感動を与える表現力は、マコーレー・カルキンやハーレイ・ジョエル・オスメント、ダコタ・ファニングなど、その後のハリウッドを代表する子役たちの誰もが敵うものではないと私は思っています。
終盤の異世界「ドリームランド」について
さて、【キッド(1921)】には、終盤少し難解な描写があります。
浮浪者が大事に育ててきた孤児はついに、かつてあの母親が捨てた赤ん坊であると判明します。そして孤児は母親のもとへ送られ、浮浪者と孤児は離れ離れに。
孤児を探し疲れて自宅の前でうたた寝をしてしまった浮浪者がみる夢…この「夢の世界 」が不可思議極まりないんです。

ボロ家のドアにもたれかかる赤い矢印の人物が浮浪者。
ふと目覚めると(夢なんだけど)目の前の広場には大勢の人。
いや「人」っていうか天使。
みんな翼が生えてる。しかもこの翼は買えるらしい。着脱式?翼の生えた孤児と再会した浮浪者は、さっそく翼を購入して背負います。
この平和な広場に密かに侵入してきたのは悪魔。「誘惑」や「嫉妬」など、天使たちの負の感情を煽っては罪を犯させようとする。そして悪魔の罠にはまった浮浪者は天使(中身は警察官)の銃で撃たれ、ボロ家の前で動かなくなってしまうんです。


えっと……
………どういう意味?
余りにも難解過ぎたので、私が敬愛する映画バカの大損 ウェルズ氏に解説をお願いしました。

チャップリンは結末近くの「ドリームランド」のシーンで一度警官に撃たれ、死ぬ。
その後で夢から覚め、幸せになることを暗示する場面で映画全篇が終わる。


この「ドリームランド」シーンが唐突に感じられる人が多いようだが、これは恐らく映画冒頭での十字架を背負うイエス・キリストのショットと対応している。
イエスは十字架上で一旦死ぬが、復活し、その事で人間の罪が許される。
同様なイメージを描くことで、チャップリンは犯罪を行ってきた主人公、それに赤ん坊を捨ててしまった母親も十字架の前で許されるのだ、と言いたかったのかも知れない。

って、冒頭にイエス・キリストなんか出て来たっけ?

あこれか、出てるわ!
映画【キッド(1921)】の感想一言

いやあ~やっぱり大損 ウェルズ氏の洞察力はすごいですねえ。
天使と悪魔、善行と悪行、生と死とイエス・キリストか………。
全然分からへんかったわ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。