1973年/アメリカ/監督:ウィリアム・フリードキン/出演:リンダ・ブレア、エレン・バースティン、ジェイソン・ミラー、マックス・フォン・シドー、リー・J・コッブ、ウィリアム・オマリー、キティ・ウィン/第46回アカデミー脚色・音響賞受賞
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第44回アカデミー賞で最優秀作品賞と監督賞を始めとする6部門受賞を果たした【フレンチ・コネクション】から2年。
1971年/アメリカ/監督:ウィリアム・フリードキン/出演:ジーン・ハックマン、ロイ・シャイダー、フェルナンド・レイ、トニー・ロビアンコ、フレデリック・ド・パスカル、マルセル・ボズフィ、エディ・イーガン/第44回アカデミー作品・監督[…]
ウィリアム・フリードキン監督は再び映画史に残る快挙を成し遂げることになります。
第46回アカデミー賞では最優秀作品賞こそ逃したものの脚色賞と音響賞の二冠に輝き、この前日に公開されて大ヒットしていた【スティング】の興行収入をあっさりと追い抜いて空前のオカルトブームを巻き起こした名画、【エクソシスト】です。
1973年/アメリカ/監督:ジョージ・ロイ・ヒル/出演:ロバート・レッドフォード、ポール・ニューマン、ロバート・ショウ、チャールズ・ダーニング、レイ・ウォルストン、アイリーン・ブレナン、ハロルド・グールド、ジョン・ヘフマン、ダナ・エ[…]
映画【エクソシスト】のあらすじザックリ
冒頭のイラクの遺跡の場面の意味は?
映画の冒頭。
映し出されるのはイラクの砂漠の遺跡発掘現場。
出土した発掘品をしげしげと見つめるランカスター・メリン神父(マックス・フォン・シドー)。
この場面は原作小説を読んでいなければ意味が伝わりにくいかも知れません。ただメリン神父が砂漠の遺跡発掘現場をウロウロしているだけではないのです。
そもそも映画ではメリン神父が見つめるこの発掘品が何であるかも明らかにされていませんよね。
小説には簡潔にこう書かれています。
緑の石を刻んだ悪霊パズズの頭だ。
パズズとは南風の擬人化で、疫病と災厄をつかさどる。
ー中略ー
彼は知った。
これがやってくる。
ー中略ー
彼の心は、近い将来、太古以来のこの敵に立ち向かう時がくるとの見通しから、黯然 たる思いに閉ざされていた。
出典:小説「エクソシスト」
メリン神父は発掘品の中にかつて戦った悪霊パズズの魔除け(“悪を持って悪を制す”目的で魔除けに使われていた)を見つけ、街はずれの廃墟に向います。そこで悪霊パズズの銅像と対峙し、再び相まみえる時が近づいていることを確信しているのです。
サブリミナルで映り込んでくる悪魔パズズ
「サブリミナル」とは「潜在意識に働きかける様子」を表した単語で、連続する映像にほんの一瞬他の画像を混ぜ込ませることによって視聴者の潜在意識下に画像のイメージを植え付ける手法を指します。
迷惑千万なことに、【エクソシスト】はこのサブリミナル手法を使って悪魔パズズの姿をたびたび映り込ませています。
画像を載せるのは怖いので記憶を頼りに描いてみました。
こちらがサブリミナルで映し出される悪魔パズズです、どうぞ!
んん微妙。
いや…、
(これでも)割と上手く描けてる…。
こいつはもう本当に、全然パズズが関係ないような場面であってもしょっちゅう映り込んでくるので、油断しないようにしてください。
観たら人格を乗っ取られる、とは言いませんが、一瞬であろうが何だろうが好んで観たいものでもないでしょう。
悪魔パズズに取り憑かれた少女リーガン
さてこちらはイラクから遠く離れたワシントンのジョージタウン。
一人娘のリーガン(リンダ・ブレア)と暮らす女優のクリス・マクニール(エレン・バースティン)がジョージタウン大学構内で映画の撮影にのぞんでいます。
クリスがシングルマザーであることを除けば、母子の関係はごく普通でごく当たり前の良好なものでした。
事件の始まりはリーガンがベッドが動いて眠れないと言ってクリスの寝室に潜り込んできたことだったか、クリスが屋根裏部屋の物音をいぶかしんだことだったか…とにかくある時からリーガンの様子が目に見えておかしくなっていきます。
卑猥な言葉を口にするわ、人相は変わるわ、ブリッジで階段を駆け降りてくるわ、十字架で自慰行為に及ぶわ。
病院で検査を受けまくっても原因は判明せず。
医者も完全にお手上げ状態に陥り、クリスはついにただひとつ残された“悪魔憑き”の可能性を拭いきれなくなるのです。
リーガン、サブリミナル…ここまで怖くする必要はあったのか
そういえば結局リーガンが悪魔パズズに取り憑かれたそもそもの原因は何だったのでしょうね?ひとりでウィージャ盤(霊応盤)で“ハウディー船長”と遊んでいたから?
まあ最後の方でメリン神父が「悪魔にとっては無垢な者に憑くことこそ意味がある」みたいなことを言ってますから、取り憑く対象が純真かつ潔白であればあるほど深まる“観察者(周囲の人々)”の絶望をパズズは楽しんでいるのでしょうね。
「どうしてこんな幼気 な少女に…」なんて疑問を抱いてしまったら奴らの思うつぼで、増してや取り憑かれた原因を探ろうなんてミラクルナンセンス。だって奴らの感覚では何のきっかけも落ち度もない普通の少女に取り憑くからこそ面白いんですから。
しかしですよ、どちらにせよ悪魔に憑かれた少女をここまで怖くする必要はあったのでしょうか。
だって私を含め大多数の人が【エクソシスト】って聞いたら180度首が反転したリーガンを思い出すでしょう?
いやいやそこじゃないやん。
とか言いながら突然大好きなリー・J・コッブ扮するキンダーマン警部の画像ぶっこんでみる(他に入れるとこなかった)。
宗教色は少し強めですけど、信じるものを無くした若い神父の葛藤やすでに同じ悩みを乗り越えた老神父の最後の戦いなど、登場人物の心情を繊細に描いた稀に見る優れた映画であるのに、リーガンとサブリミナルの悪魔が怖すぎてそればかり先行してしまいがち。
公開時には吐き気を訴える人や気絶する人まで続出したと言いますし、もうちょっとばかり恐怖度を控えめにできなかったものか…。
あかんわな…。
あの悪魔パズズが取り憑いた時の恐ろしさがあってこそ“悪魔祓い師” の存在意義が高まるんやろな…。
信仰をなくしかけてるカラス神父とそれを乗り越えたメリン神父
その恐ろしい悪魔パズズと戦うのが、若手イエズス会士のデミアン・カラス神父(ジェイソン・ミラー)と、“悪魔祓い”の経験がある冒頭の老神父ランカスター・メリン。
精神科医でもあるカラス神父は、哀れなホームレスに助けを請われることを恐れるほどに信仰心が揺らいでいます(原作小説では心の中で「寄ってくんな!」とか考えてる)。
自分は宗務には不適格だから精神病理学の教務だけに専念したいと大司教に嘆願書まで出してたのに、離れて暮らす母親をたった一人で死なせてしまい、なおも自責の念にかられて憔悴し通し。
このままこの人はダメ人間に転落してしまうんじゃないかと思った矢先、クリスからリーガンを救って欲しいとの依頼がきます。
しぶしぶリーガンの元を訪れるカラス神父。
そして明らかに様子がおかしいリーガンを見て、最初は疑い半分だったカラス神父も彼女に悪魔が取り憑いていることを認めざるを得なくなり、“悪魔祓い”の儀式の手配を進め始めます(色々許可がいるらしい)。
ところであなたは、この辺りから何だか不思議な感覚を覚えませんでしたか?
死んだような哀しみをたたえていたカラス神父のね、目の奥の輝きがみるみる戻ってくるんですよ。
…あれ?
前より活力増してない?
確かにパズズは強敵ですから世界の終わりみたいな終末感は味わうんですけど、カラス神父の精神の根っこの部分は活性化して元気になってる。
私の敬愛するとある映画バカは、【エクソシスト】をこんな風に形容していました。
若い神父が神なんていないと悩んでたのに、悪魔の存在を知って「じゃあ神もいるじゃん」って喜んじゃう話
まさしくおっしゃる通りで、神も悪魔もないと絶望していた人が、悪魔の存在を目の当たりにすることで神への信仰をどんどん取り戻して行くお話なんですね。
何なら「俺が倒す!」と躍起になっちゃってる。
小説ではこの心理はもっと顕著で、イエズス会から派遣されたメリン神父がマクリール邸へやって来た時、カラス神父はなんと、少しがっかりします。
もちろん「俺ひとりで悪魔をやっつけたかったのに!」という子供じみた理由でです。
でもじゃあカラス神父ひとりでやっつけた方が良かったのかと言うとそうでもなくて、メリン神父もまた、実はかつてカラス神父と同様に神に絶望して隣人を愛せなくなった経験を持っています(原作小説による)。
信仰をなくしかけていた2人が力を合わせて、再び神を信じて戦うことに意味があるんですね。
まあこの辺りはどうまとめても「神を信じなさいよ」という宗教色の濃い仕上がりになってしまうんですけども。
段階的に変わっていく主観
【エクソシスト】は「主人公」が漠然としていて、前半と後半で主になる人物が変わります。
前半はクリス、後半はカラス神父が軸。それもある瞬間に一気に変わるのではなくて、少しずつ「割合」が変わって、気が付けばクライマックスにはどっぷりカラス神父とメリン神父の視点になり、前半では主になっていたはずのクリスはすっかり傍観者になっています。
そしてラスト(カラス神父が死んだあと)はまた、驚くほど客観的で無味乾燥なものに変貌。
その時もっとも精神を揺さぶられている者を見てパズズが楽しんでいるかのような視点で恐ろしさを倍増させています。
そう考えるとカラス神父の登場シーンのクローズアップもなんとなく不気味な感じがしませんか?
この時はまだカラス神父とパズズの間に因縁がなかったことは分かっているけど、広い大学構内のあの人混みの中にあってもすでにパズズに見張られているみたいでね…。
カラス神父が犠牲になった階段“エクソシスト・ステップス”
カラス神父がラストでリーガンの部屋の窓から身を投げ転がり落ちる階段は“エクソシスト・ステップス”と呼ばれ、今も人々が訪れる観光名所となっています。
Google Earthで直近の景色を見ることもできますよ。
この狭い階段は 1973 年の映画「エクソシスト」でカラス神父が絶命するシーンを撮影するために使用されました。75 段もある階段を転がり落ちるスタントマンのために、石の階段にはゴムが敷き詰められました。現在、階段を下った先の壁には、ここがこのホラー映画の遺産のロケ地であることを示すプレートがあります。
出典:Google Earth
映画【エクソシスト】の感想一言
「孔雀王」や【陰陽師】が好きな私は神父とパズズとの決戦にテンション上がっちゃうのですが、そこに至るまでには数々の困難(=怖いシーン)を乗り越えなければならないので、この映画を観ること自体がひとつの苦行のようになっています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。